他の角田光代作品同様に誰もが見たくない、見ないようにという物から目をそらす事なく見据える角田光代の真剣さ真面目さが伺えました。
ある種の誰でも経験がある後ろめたさと恐いもの見たさにぐいぐい引きつけられあっという間に読み進み、そのうち自分でも気づかない自分自身の中に眠る本性みたいなものに向き合わざる得ない状況にたたされます。
でも本作を読み終わって感じた事は現代の格差社会の恐ろしさ。
本作のテーマになっているお受験。
すべては格差社会の勝ち組になろうとするがゆえの努力。
日本人はほとんどが中産階級で平和に暮らしていると信じているがこの話を読むとそんなのは幻想に過ぎず、明らかに格差が存在する事を認めざるを得ない状況に落ち入ります。
本作の中には出てくる5人の主人公の母親達はそれぞれが異なった環境の異なった階級に属しています。 いわゆる育ちが違うってことです。
その自分が育ったのと同様の環境の中にいる分には気づかない事を全く別の階級どうしが育児を通して知り合いになり友達になり行動をともにする事によりいやでもその違いに気づかされてしまうのです。
育ちのいいもの(都会育ちの勝ち組)は育ちの悪い物の趣味(センス)には共有できないと悟り、彼らの卑しさに気づき辟易し、貧乏とまでも行かず郊外や田舎の裕福でない家庭と環境で育ったものには自分の中にあるゆがんだ劣等感とどんなにのぞんでも身につける事の出来ない違い、勝ち組の中にあるあきらかな優越感に気づいてしまう。
それに実感をともなって気づかされてしまう事がこの話の本当の恐ろしさでしょう。
両者は相容れず格差は開いていくばかり。物語はそれに気づいたものたちが自分の領域を死守する為の行動の醜さを余す事なく伝えていきます。
昨日までキレイごとでなっていたこの世界が実はそうではなっかたと気づき足もとがぐらつく感じ・・・。
自分は周りに影響されないと思っても知らず知らずのうちに比較している。
そしてだれもが人より有利にたちたいというところで欲望が生まれ悲劇が生まれる。
社会的格差というのは今に始まった事ではないのはたしかですが昔は それぞれが立場をわきまえ身の丈にあった分相応の暮らしにそれなりに満足していた様な気がします。
それが現代では雑誌やテレビでセレブがモテハヤされちょっとがんばれば自分にも同じ様な暮らしが手に入る錯覚をおこすような情報が氾濫し、それに輪をかけるようにクレジットカード会社やローン会社によって安易お金が手に入り、その自分の物でないお金があたかも自分の物のように錯覚をおこしてしまう様な仕組みにあふれている。
この小説はそんな現代の情報社会と格差社会の生む恐怖と闇を個人の目線からリアルに書ききった一作だと思います。