主人公バディは、もし穴の中で生きていたら、死ぬのをやめようと思っている。そのために協力者が必要なのだ。これは「神への問い」なのだろうか。「私は生きるべきなのですか?」、「私は死んでも良いのですか?」 自殺を決意したバディは、いたって正気なのだ。
穴を掘った山道には、カラスが群れ飛ぶ。ゴッホが死の直前に描いた『カラスのいる麦畑』を連想した。ただ、あの絵ほど凄惨な感じはなく、明るい日差しの中で、さりげなく表現されている。それでも、青い空を昇っていく鳥の群れは、やはり「死の象徴」なのだろう。
バディの車の前輪が道路わきの溝に落ちたとき、近くにいた人夫たちが駆け寄ってきて、笑いながら助けてくれるシーンは印象的だ。そして、終盤の夕暮れのシーンは息を飲むほどに美しい。だが、バディは「神への問い」を決行した。ひとり残され、もう誰にも語ろうとしないバディの苦悩は深かったのだ。
この作品に、よく云われる「生きることへの讃歌」のようなものは感じ取る事ができなかった。そうではなく、生と死の境界の感傷や戸惑いの率直な表現に酔ってしまった。暗い穴の中で、バディは眼を閉じた。死んでいくのは(神に問うのは)ワタシではないかと思い、恐ろしくなった。バディはワタシの分身のような気がするのだ。
最後の『生を喚起する春』と名付けられたチャプターの真意は、まだ分からない(本編は秋のようだが)。バディに共感しすぎた人たちのための「救済」なのだろうか。一瞬だが、タバコを吸っているバディも登場する。「バディは生きてるよ、映画を撮っていたんだもの」とでも云うようなはぐらかしである。しかし、エンディングに流れる、暗いジャズ風の音楽は沈痛である。
(この作品のパンフレットを入手されることをお勧めします。『ルバイヤート』(イランの詩)などが引用されてて、ステキです。)