今、上方の噺家の中で、この噺を語れるのは、米朝しか居なかった。それを物の見事に文珍が継承した。大看板が次々と世を去り、米朝も体力的にもうこの噺は出来ないであろう。幸い私は、米朝の口演を2席持っているが、もう生の噺は聴けないと思っていた。上方落語会にとっては、快挙である。話の出来も、文珍が中で話している様に、米朝からの口伝である為、実にスマートに、華麗に仕上がっている。死者の噺だけに、暗くなりがちな所を、文珍の持ち前の陽気さで、見事に楽しいパロディの落語に仕上げている。又、米朝の噺に更に一捻り加えて大きな笑いを取っている所は、文珍の落語に対する熱情と、恐ろしいまでの笑いに対する探求心が感じられる。この噺を聴けば、文珍が相当な稽古量をこなしたであろう事は、私を含め全ての文珍ファン、落語ファンが感じるのは容易な事である。文珍の真の大看板への第一歩の作品である。