日本の国際化、将来を考えるうえで、中東アフリカ地域、イスラム諸国という新市場への玄関口ドバイを知ることは欠かせない。
リーマン・ショックをドバイで体験した著者が、いまだ知られぬドバイのありのままの姿を伝える。
中東にビジネスチャンスあり!
世界が注目するハブ国家ドバイ。
脱中国への方程式がここにある。
オビ
ドバイを知れば、世界がわかり、日本の将来が見える
はじめに
はじめに断っておくが、わたしはイスラムの専門でもなければ中東の専門でもない。外務省員でありながら、お恥ずかしい話、2004年に前任地のアフガニスタンに日本から赴任する際、ドバイ経由と聞いて、しばらくの間は「ドーハの悲劇」(注1)の舞台だったドーハと勘違いしていたくらいだ。
こんなわたしでも、2006年にドバイの日本総領事館に転勤して以来、はや4年が経とうとしており、まわりの様子が徐々に見えるようになってきた。
日本では、ドバイについて、まずセレブな高級リゾート地というイメージが先行した。それに、ほかの国では考えられないユニークな形をした高層ビルや奇想天外な埋め立てプロジェクト。これらが次々と完成し、また続々と夢のような新計画が発表されることで、何でも可能にしてしまう「アラブの魔法のランプ」のイメージがこれに加わった。
こうして膨らんだファンタジーな新世界への期待感は、リーマン・ショック(注2)による国際金融危機の大津波を受け、一瞬にして水泡(すいほう)と帰した。20年前に日本が経験したバブル経済崩壊の再来、所詮(しょせん)は成り上がり国家のつかの間の夢。現在、日本人がドバイに対して抱く印象はこんなところではないだろうか。
わたしがドバイに着任したのは2006年10月。まさにバブル経済の絶頂に向けて邁進している最中にあたる。中東アフリカ地域で最大規模の日本人社会を有していることもあり、自然に民間の方々との付き合いも増えることとなった。
最近では、海外にある日本大使館や総領事館が、その業務の一環として日本企業の進出を側面的に支援するようになっている。それでもわたし自身、25年間に及ぶ外務省生活を通じて、ドバイという場所ほど日本ビジネスとの関わりを深くもったことはなかった。同時にまた、世界における日本ビジネスの特徴や位置づけもよく見えるようになった。
ドバイに生活してみると、全てがビジネス感覚で動いていることに気づく。まだ景気のよかった頃、「ドバイ株式会社」と揶揄(やゆ)され、政府高官自身もあっさりとそれを認めるくらい、ビジネスを中心として街造りを行い発展してきた。観光も開発プロジェクトも不動産投資も、あくまでビジネスという大樹を育てるための枝葉に過ぎない。
どこまで突き進むのかと思われた勢いは、世界的な金融危機の直撃を受けたことで、一息ついた。確かに不動産分野をはじめとする一部のセクターは大きな痛手を受け、これが回復するにはまだ相当の時間がかかるだろう。
それでも、世界的に経済活動が最も低迷した2009年初頭でさえも、ドバイの建設現場の工事は続いていた。ヒトの流れは相変わらず多かった。治安が悪くなったわけでもない。マスコミが期待するような「死の街」と化したわけでは決してない。
ドバイの経済体質は日本人には意外と思えるほど多様化されている。世界経済の回復基調とともにスタート・ダッシュを見せるべく、いろいろな仕掛けが動いている。そして多くの国々が、ドバイの重要性を理解して、民間だけでなく政府も一丸となって、中長期的な投資を行うべく果敢にアプローチをしている。そんな中で、日本の存在感は極めて低い。
「チャンスがあるのになぜ?」というのが、わたしの素朴な疑問であり、この本を書くきっかけともなっている。
ドバイはつくづくユニークな街である。中東アフリカ地域、ひいては世界中のイスラム諸国という新市場へのビジネスの玄関口であるとともに、日本の国際化についてもヒントがたくさん潜んでいる。不動産バブルの崩壊という「失敗国家」として忘れ去るには、あまりにもったいない存在なのだ。
国際金融危機の前後をドバイで体験した身として、ありのまま見て感じたドバイを、日本のより多くの人たち、特にビジネス関係の皆さんにお伝えしたいと考えてきた。
本著では、ドバイを理解するための最低限の知識をおさらいした後、国際金融危機の影響が実際にどうなのかを振り返り、日本ビジネスが生かせる方法について自身のアイデアを紹介することとした。
法律・規制の詳細や開業するためのノウ・ハウ論には触れていない。旅行ガイドで紹介されている観光的な要素も努めて除外した。底値となった不動産への投資指南もしていない。繰り返すが、ドバイは本来的にビジネス志向の街なのだ。
世界のどこでも同じだと思うが、ドバイでも実際に商売を始めようとしたら、いくつもハードルを超える覚悟と勇気が必要だ。でも閉塞感ばかりが漂う今の日本ビジネスにとって、これらを差し引いても十分なお釣りが来るだけの可能性を予期させるものが、ドバイにはある。新天地でのビジネスに少しでも関心ある方々にとって、何らかの参考になればありがたい。
ドバイをはじめとする多くの中東地域に共通する問題として、信頼できるデータが少ないという事情がある。調査会社や新聞のデータもそのまま信じるのは危険といえる。本文では、なるべくデータの出典を明確にするとともに、わたし自身の実際の見聞に基づく「現場感覚」も盛り込み、実像が浮かびやすいように配慮した。データはあくまで参考程度に考えていただきたい。
「らしくない」と言われるが、これでも現職の外務公務員であり、公務員の義務として気を使わざるを得ない部分があるのは事実だ。それでも、本著では可能な限り率直に個人の意見を紹介したつもりだ。文責は全てわたし自身にあり、決して外務省や日本政府の公式見解ではないという点だけは予めご了承願いたい。
おわりに
アラブ地域には、「ハーリフ・トアラフ」ということわざがある。人であれ組織であれ、ほかの人と違う言動をとれば、ユニークな存在として、時には実力以上の評価を得ることもある、という意味のようだ。
イスラム帝国のアッバース朝(750年〜1258年)以後、地域全体としての存在感を失っていたアラブ社会にとって、ドバイは久々に世界にアラブ人の底力を見せつける模範例となった。
人口わずか180万人弱、埼玉県の面積しかなく、石油資源にも恵まれなかったドバイが、世界中の人たちにその名を知られるようになったのは、まさにユニークな発想を徹底的に追求し実践してきたからにほかならない。前向きな考え方が「正のスパイラル」を呼び起こした典型例といえるかもしれない。
他方、近年の日本は全体的に萎縮傾向にある。新しいことを始めようとすると、それを盛り上げようとする気運が見られない。逆に、ちょっとしたつまずきや失敗を徹底的に叩いてしまう。緊縮財政の下、政府も短期的な効率性にばかり目が向きがちで、「国として中長期的にどのような投資をすべきか」という民間セクターとの棲み分けが十分果たせていない。
海外から見ていると、日本はまさに「負のスパイラル」に巻き込まれている。これでは産業界も、リスクをとってでも新しいことにチャレンジしようという意欲が失せるはずだ。ドバイに生活していると、「チャンスは待つのではなく、自ら捉(つか)まえにいくもの」という商売の原則をつくづく感じさせられる。
ドバイでのビジネスは、中東アフリカという「新市場への挑戦」であるとともに、近い将来に日本が避けて通ることのできないイスラム社会という「異文化への挑戦」への第一歩でもある。多くの人たちが、こういった前向きな姿勢を呼び起こすことこそ、日本全体を活性化する唯一のきっかけではないかと思う。
本文で紹介してきたアイデアは、わたしの経験と直感に基づくもので、本気で商売化しようとしたら慎重に考えるべき点はたくさんあろう。わたしが訴えたかったことは、海外でビジネスを行うには、常識として頭にこびりついている考え方を一度リセットし、ある程度のリスクを覚悟しながら、それを乗り越えて利益を得る喜びを感じる、というビジネス本来の原点である。
「株式会社ドバイ」は、今後ともグローバル企業として、世界にその名を定着させていくだろう。ドバイの「魔法のランプ」の灯は、バブル崩壊とともに消えたのではなく、これからが本当の見せ場なのかもしれない。
ドバイの自宅にて
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