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柳宗理の名は、日ごろあまりデザインに馴染みのない読者にも広く知られているだろう。テーブルウェアのような小物から、歩道橋や自動車、オリンピックの聖火台のような大掛かりなものに至るまでその活動の幅は広く、それらの作品のなかには「バタフライ・スツール」のように海外でも広く知られているものも少なくない。しかし、作品の高い知名度と比べてみても、柳その人が語ったデザイン観は不思議とあまり話題に上らなかった。88歳を迎えた著者・柳が初めて刊行したエッセイ選集である本書は、日本のプロダクトデザインをリードしてきた重鎮の軌跡が軽妙な言葉によってつづられた、今までの遺漏を埋め合わせて余りある1冊となっている。
本書には折に触れ書き留められた多くのデザイン論が収録されているが、なかでも著者のデザイン観が最も凝集されているのが冒頭の「アノニマス・デザイン」であろう。著者は匿名の職人によって作られたジーパン、野球のボール、ピッケルなどに「その土地土地の生活の用に準じて、忠実に素直に作られている健康で平穏な美しさ」を見出してそれを「濁流渦巻く現代文化への清涼剤」として位置付けている。この部分だけを読んでいても拍子抜けしてしまいそうだが、しかしこの視点は伝統的な「用即美」の境地とほぼ同一のものといってよく、シンプルにして質実剛健なデザインこそ著者の希求するものであったことを他の多くのデザイン論や雑感からも読み取ることは難しくない。
言うまでもなく、このような「アノニマス・デザイン」へのまなざしは民藝運動を展開した美学者である著者の実父・宗悦の大きな影響下に形成されたものであり、本書の後半にも、宗悦が創設した日本民藝館の館長を務める立場となった今、あらためて実感されるその業績の偉大さを回顧する断章が挿入されている。親子2代にわたって受け継がれた民藝運動の理念を「蛙の子は蛙」と言って済ますのは安直に過ぎるというほかない。(暮沢剛巳)
内容紹介
「本当の美は生まれるもので、つくり出すものではない」(本書より)。本書は著者が88歳で刊行した初の著作選集。デザイン論、数々の自作解説をはじめ、伝説的連載「新しい工藝/生きている工藝」、日本と世界のアノニマス・デザイン、そして父・柳宗悦と民藝運動について――。柳宗理の一貫した思考を、この一冊に集成。
--このテキストは、
単行本(ソフトカバー)
版に関連付けられています。
内容(「BOOK」データベースより)
プロダクト・デザインのパイオニア柳宗理が88歳を迎えて刊行する、初のエッセイ選集。デザイナーの「服」と「手」がこの一冊に。
内容(「MARC」データベースより)
プロダクト・デザインのパイオニア柳宗理が88歳を迎えて刊行する、初のエッセイ選集。アノニマス・デザイン、伝統とデザイン、デザイナーとしての覚え書きなど、デザイナーの「眼」と「手」がつまった一冊。
著者について
柳 宗理(やなぎ そうり) 1915年、東京生まれ。父は柳宗悦。東京美術学校洋画科卒業後、シャルロット・ペリアンの日本視察に同行。のち坂倉準三建築研究所の研究員となる。第2次世界大戦でフィリピンに渡る。1946年帰国後、工業デザインの研究に着手し、1953年柳工業デザイン研究会を設立。「バタフライ・スツール」をはじめ、台所用品や椅子から高速道路の施設まで、数々のデザインを手がける。ミラノ市近代美術館、セゾン美術館などで個展。1977年~2006年、日本民藝館館長。2002年、文化功労者。
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単行本(ソフトカバー)
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著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
柳 宗理
1915年6月29日、東京市原宿にて父・柳宗悦、母・兼子の第一子として誕生。千葉県我孫子に育つ。1938年東京美術学校洋画科卒業。1981年紫綬褒章受章。1992年沖縄県立芸術大学非常勤講師に就任(94年、客員教授)。国井喜太郎産業工芸賞受賞。1997年金沢美術工芸大学特別客員教授に就任。2002年文化功励者(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1915年6月29日、東京市原宿にて父・柳宗悦、母・兼子の第一子として誕生。千葉県我孫子に育つ。1938年東京美術学校洋画科卒業。1981年紫綬褒章受章。1992年沖縄県立芸術大学非常勤講師に就任(94年、客員教授)。国井喜太郎産業工芸賞受賞。1997年金沢美術工芸大学特別客員教授に就任。2002年文化功励者(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)