人が自分の意思とお金で食べたい物を食べられる様になる年齢を
20歳とすると人生80年三食ちゃんと食べたとして
60年×365日×3 食=65700食。
これを多いと見るか少ないと見るかはその人次第だが
おおよそ一生に於ける食事の回数は決まっている事になる。
あくまで私的な意見だがその限られた食事
ただ胃に物を詰め込む生命維持の様な事態はなるべく避けたい。
出来ることなら一食たりとも不本意な物にしたくないと思うのだ。
食に対する意識が他人よりも高いのか
普段からこの様な事を考えていたのだが
イギー氏に勧められたこの本、リリー・フランキー/澤口知之著
「架空の料理、空想の食卓」を読んでさらにその思いを強くした。
この「架空の料理、空想の食卓」ざっくり内容を説明するとこう。
リリーの思いつく様々なシュチュエーションに合う料理を
日本屈指のイタリアンシェフ澤口知之が最高の腕と食材を使い具現化する。
リリーと澤口シェフ余程気心が知れているのだろう。
読む限りでは綿密なイメージの伝達はされている訳ではなく
漠然としたテーマの輪郭と想像するに使ったソースが
ざっくり伝えられているだけの様なのだが
毎回、散々旨いものを食ってきたであろうリリーを唸らせ
心揺さぶる逸品達がテーブルを彩るのだ。
この本に登場する料理達を見て思う事はまず「食いてぇ!」この一言。
いきなり視覚に飛び込んでくる天然の原色と原型を留めた食材
味を想像する前に条件反射でかぶり付きたくなるディープインパクト。
人が忘れかけたスピリチュアルな本能を呼び起こす狂気のイタリアンは
ごく大衆的な料理に落とし込まれ見た目と味の二つを
他所と比較するのに容易い。
これは余程の自身が無ければ出来ない芸当で
澤口シェフの才能がスパークしている証拠なのである。
良く「食べるのがもったいないくらい美しい料理」と言うのを聞くが
もったいないなら写メでも撮って食べずに帰ればいい。
料理たるもの一目で食欲中枢を刺激して何ぼ。
「美しい」より「旨そう」の方が料理に対する褒め言葉として先なのだ。
さらにこの澤口シェフ、理人の枠を遥かに超えた文才で
自身の一皿に知性のグラッパを添える
非凡とはこう言う男の為にあるのだろう。
そしてこの狂気のイタリアンへの食欲をいっそう加速させるのが
リリーの腰に来る官能的な文章
具体的に味を表現する言葉はほとんど登場しないにもかかわらず
しっかりとその味が伝わってくるのは
リリーの確かな味覚と豊富な経験、知識に他ならない。
何より特筆すべきは文章から漂うエロさ!セックスをベースに
料理を語る事がこうも的確で豊穣な表現になるのかと驚いた。
人間の行動の中で視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚、五感を
フルに使うのは食事をセックスだけらしい。
したがってこの二つをおざなりにすると言う事は
意図的に感覚を鈍らせて行くのに他ならない。
いつの間にか日々の中に埋もれて行く食の重要性
この「架空の料理、空想の食卓」で食べると言う行為を
見つめ直すきっかけにしてはどうか?