作者の明石散人は有名な作家の別ペンネームだという噂が立っている人(対談や解説である程度推測はできますが・・・・)ですが、本書は実に魅力的な内容に満ちていました。
本書は1990年10月に講談社から単行本として出された後、1993年に「あとがき」、「解説(高橋克彦)」を加えて講談社文庫として刊行された『東洲斎写楽はもういない』の文庫第5刷りを底本とし、図表を増補したものですと書かれていました。文庫と比較してどの図表が増補されたかは分かりませんが、「写楽とは誰か」という百家争鳴の中、一定の「ケリ」を付けた本が20年経って再び復刊された意味は、現代においてもその内容の確かさが評価されていることに他なりません。
小説仕立てのノンフィクションといった趣です。研究書ではありませんが、史料へのアプローチは真摯なもので、浮世絵研究者の態度そのものでした。
東洲斎写楽ほど謎に包まれた浮世絵師はいません。写楽の活動した時期は、寛政6・7年の約10ヶ月の間だと言われています。その間、約150枚の歌舞伎の役者絵等を描いて消えたのがとてもミステリアスですし、一方で大首の役者絵に代表されるように世界の絵画史的にみても類をみない個性あふれる作品が、洋の東西を問わず多くのファンを作り出しているのです。
本書では、まず岩波の『国書総目録』から国会図書館での「十返舎一九『道中助六』」の原典にあたる作業のエピソードを面白く読みました。『国書総目録』もその元になった『国立国会図書館』の目録も最初に記入した所蔵文献の書誌データを元にしており、必ずしも「モノ」を確認していないことからこのようなことがおこるわけで、歴史の研究者なら実際にはまる落とし穴のようなものでしたが、後の展開に一定の意味を持つことを理解しました。
最初に「錦絵」の流れや、写楽に関心をもった先行者の説を簡単に披露しています。それらの説への批判を控え、作者独自の「東洲斎写楽」の読みからアプローチをかける方法は当時実に斬新でした。「とうじゅうさい・しゃらく」と読まれたことを確認する文献史料の調査は地道ですが着実に例証しています。95ページまでの部分は本書のカギとなる箇所でしょう。
有名なクルトの『SHARAKU』の表紙は掲載してありましたし、内容もしっかりと紹介してあり、ドイツ人のクルトは後の他の研究よりずっと真摯な研究アプローチをしているのを確認しました。
「浮世絵師研究のバイブル的な」存在の『浮世絵類考』の写本の系譜を調べ上げ、「写楽」が登場する年代と写本の系譜をしっかりとたどっていきます。この過程は近世文学の研究者なら当然の作業ですが、それまでの「写楽本」ではそこまで深く関わった方はなく、本書の凄みを感じる場面でもありました。
天保15年(1844)の斎藤月岑著『増補浮世絵類考』の文中の記事をしっかりと史料批判しながら検証していきます。「東洲斎写楽が阿波侯お抱えの能役者斉藤十郎兵衛」であるということに相当な検証を重ねており、この部分も知的好奇心を満たすものでした。歴史や国文学を専攻した者以外は退屈かもしれませんが、実際の学問の真理に辿り着く過程はこのようなものなのです。それが研究者でない方の作業だということに驚きますが。
290ページに書かれていることは、「とうじゅうさい・しゃらく」という読みを指摘された瞬間、写楽好きならつながるもので、そのような読みを思い浮かべないからこそ、この説はそれまで誰も述べられなかったことになります。
通称『伍一本』の栄松斎長喜老人の話で書かれている写楽の武士としての姿と月岑の能役者としての姿の両面が、近世文学者の中野三敏氏による『写楽―江戸人としての実像 (中公新書)』につながるのでしょう。
版元の蔦屋重三郎が歌舞伎の全役者の錦絵販売の企画を思いつき、そこに写楽を用いた箇所の説明は実に力の入った記述で、この「明石散人」が只者ではないことの証明でしょう。
巻末には詳しい解説もあり、モノクロですが、当然写楽の様々な作品は掲載されています。あとがきの、エゴン・シーレが写楽の影響を受けていたという説明は目から鱗でした。西洋美術史における浮世絵の影響をみる例がまた増えたようです。
400ページというボリュームですが、実に面白く読み応えがありました。素敵な復刊だと高く評価しています。