出版されたばかりの書籍に対して言うのもどうかとは思うが、
本書は著者のその他の書物、特に
哲学ディベート―“倫理”を“論理”する (NHKブックス)、と
理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)を読んだ後で手に取った方が良いかもしれない。
前者である程度、倫理的な問題についての思考訓練した後だと、著者の東大での講義に対する東大生の反応についてより多く感じることがあるだろう。
後者は東大での講義のテキストに指定されていた本であり、この本から受ける知的興奮はものすごい。
できれば両方を読んで、高橋昌一郎ワールドの雰囲気にどっぷり浸かった人間が読んだ方が得られるものが大きいと思う。
本書単独でも、もちろん東大で著者の講義を一年受けたような雰囲気が味わえる素敵な本である。単に教官視点だけでなく、学生視点からの記述もあり、東大という世界、あるいは東大生の世界について丁寧に描こうとする姿勢が随所に感じられる。
ただ難を言えば…東大生の論理とは、結局は「頭の良い人の論理」であり「学習意欲が高い人の論理」でしかないのかな?という気がする。
著者も最後に触れているのだが、「東大生の論理」というのは一種の志向性であり、どこの大学にもそのような発想の持ち主がいるはずだ。
これが「京大生」相手の講義だとどう違うのか?あるいは私大文系の最高峰レベルの生徒を相手にした授業ならどう違うのか?
仮にも「東大生の論理」というタイトルをつけるならば、もう少しそのあたりを突っ込んで分析してみても良かったのかもしれない。
著者の講義は理系の一年生を相手にした一年間の講義である以上、無理を言うつもりは無いが、
「東大」という場で四年間過ごすことで、どのような思考法発想法が身につき磨き上げられていくのか?
そんな内容も読んでみたかった気がする。