過去の戦争の正当化なさる方には絶賛され、また戦犯の死刑には賛成し日本の罪のみを思う人にとっては、先の戦争の正当化につながる本だとの批判の対象ともなる本です。前者の方は、パール判事の良い部分のみを指摘し、歴史認識の間違いをあまり指摘しようとは、いたしません。しかし、後者の方々は、歴史認識の間違いを指摘し、パール判事の論理を論破した気になっております。。前者の方に、判事が、かの陸軍大将を南京について無罪としたことで、南京事件はなかったとおっしゃる方もいますが、これは明らかに間違いです。パール判事は、中国の誇張を認めながらも、南京をきちんと証拠十分と認定せざるをえないとしています。私が申しあげたいことは、南京事件のなかった、あったということではなく、あくまでパール判事の意見を南京の実証のために引用することはできないということでございます。また、後者の方には、判事の盧溝橋は侵略ではないなど(もちろんこれについても意見はわかれるでございましょうが)という事実認識の甘さ、インドはその当時、独立国ではなかった、またインド首相も意見に反対しているなどのインド人の総意を代表した意見ではないということを示し、パール判事の論拠は覆されたなどとしている本もサイトもございますが、これもパール判事の論理の揚げ足とりにすぎず、死刑は正しいということを証明したことにはなりません。法の不遡及という根底を論破していないからです。判事は、戦争をしたものは確かに罪があるが、罪には問えないということをきちんと証明しております。判決ありきの茶番劇の裁判で、Crime for Humanity で死刑を宣告するなど、法の不遡及を犯す言語道断の行為でえあるからです。判事は、どう考えても死刑には、できなかったのです。
仮に戦争に罪があるとするならば、ドイツ人と日本人のみだけでなく、アメリカ人も毛沢東も死刑にしなければならない、としております。さらに、原爆とナチスの行為の違いが全く見えないと、日本、ドイツを批判すると共に、戦勝国であるアメリカもホロコーストを行なったと批判しております。アメリカ人、イギリス人、ソ連全てに責任はあります。それを日本にのみ押し付けた罪は重いでしょう・・。ソ連とアメリカが作成したハルノートもしかりです・・。
しかし、無実だからと言って、即ち正義としてしまうのも危険でしょう。判事の無実の主張は正しいと思われます。しかし、日本があの戦争で正しかったということの証明にはなりません。もちろん間違っていたとの証明にもなりません。
判事は一生懸命、数学と日本の歴史を勉強なさったそうです。この強靭な論理的思考力は数学から生じたものでしょう。
判事についての本やサイトは数多くありますが、あまりに右より、またあまりに左よりのものは、避けるべきかとワタクシには思われます。先の戦争は正しかったということも、またあの戦争は日本人のみの責任なのだとするものも私には間違いだと思われるからです。