28人に絞られたA級戦犯を裁く「東京裁判」は、昭和21年5月3日に開廷され、判決後の23年11月12日に閉廷。張作霖爆破事件から降伏迄(昭和3-20年)、軍事国家化し、侵略戦争を指導した責任が問われた。判決は、絞首刑7名、終身禁固16名、有期禁固2名、病没免訴2名、精神障害による免訴1名だった。天皇免訴は前提だった。
著者は、○この裁判は実在した史実である。○功罪両面がある。○この戦争責任裁判は時代に教訓を残している。という視点から、裁判全体を、流れに沿って、検事側の訴因・被告側の反論・判事団の判決の3局面に分けて、判りやすく描いています。既知資料や関係者面談に加え、1.東條が、大森収容所収監中に書いた日記(20年12月8日-21年12月8日)。2.裁判で採用された証拠書証3,915点、(’06年から国立公文書館で1部公開を始めた)の新資料も利用しています。
○公判は新聞報道され、軍人達の答弁で、昭和前期の日本軍の行動や作戦の全体図が、日本国民に開示され、良い教材となった。○しかし良い点だけでなく、容疑者を非現実的な「共同謀議」容疑で裁いた。また軍政責任者のみを裁き、統帥権を使い不合理な作戦をした軍令責任者を裁かなかった。統帥権優位が理解されずに、文民支配が存在したかのように、文官が責任を問われた。点は問題だそうです。
教訓となるのは、裁判中の指導者達の無様な態様です。検事の論理を理解できず周囲を危地に陥れた答弁。条約の内容を知らない指導者。戦場実態の報告を受けていない戦争指導者。定見も確固とした国家目標も立てられず、今の問題への対応だけで、流されていった指導者達。昨今、日本の政治家が外国から指摘されるのと、同じ問題が現れているのには、驚きました。今後、新資料を読み解き、裁判で構成された史実と現実の史実とを、明らかにし、軍国化への契機を明らかにすることが大事だと思いました。