本書の意義は、オランダ政府の公文書やレーリンク判事の個人文書など第一次資料を駆使して東京裁判の舞台裏を本格的に分析したところにある。
東京裁判はその根幹を成す憲章が、国際法学者でなく終始米軍の将軍として活動したマッカーサーによって決定され、その管轄権の不当性に疑問を持つことすら許されないという独裁性を持っていた。そして、それをナチ親衛隊よろしく忠実に遂行し、証拠によって支持されない(つまり『言いがかり』も同然の)『被告全員有罪』の多数派判決を出したニュージーランド、英国、カナダなどの『多数派』判事たちは「憲章が定めた法規に同意できない者は、最初からこの裁判の判事職を担うべきではなかった」とまで言ってレーリンクらを非難した。
オランダは、過酷な植民地経営や現地の公務員への給与不払いなど自らの不正は棚に挙げて、インドネシア独立への日本軍の援助を「日本軍のオランダへの侵略」として断罪しようとしたが、米国はこれを、日本を共産主義への堡塁として利用したいがためあっさり犠牲にした。
植民地を失ったうえ「小国」としての地位に甘んじることを余儀なくされたオランダにとって、サンフランシスコ条約は「始めて舐めさせられた苦汁」となった。
戦後補償の交渉の中で、日本側はオランダの主張する『虐待事例』の証拠を要求するが、『被害者』への尋問は不可、日本自らが調査することもならん、日本側の言い分は一切聞かぬ、と『人民裁判』の継続を思わせる蘭政府の態度のお陰で交渉は難航する。
その後、56年に日本は1000万ドルの補償金をオランダに支払う。が、個人のオランダ人による日本に対する補償請求運動は未だ終息をみていない。
東京裁判の判決を日本は確かに受け入れた。が、その判決が不当であったことは、世界中が認識してくれるまで、永久に訴え続けねばならない。
そのときまで、独立主権国家としての日本は、日本人の手に戻っては来ないのだ。