語り口は、文章と同じように饒舌。本論からすぐに脱線するが、それも含めて菊地氏のエッセイと同様、心地よいグルーヴ感がある。但し、これは生理的な好き嫌いがあると思う。
ただ、多くのジャズ評論家と呼ばれる人々が、曲やアルバムの「雰囲気」を、いかにレトリックを駆使して言語化し、プレイヤーの人生や彼らの人間関係の中にいかにうまく音楽を位置づけるかを競っているところ、菊地氏のアプローチは逆に、音楽史と文化史の中に、ジャズの音楽理論を位置づけようとする試み。
ジャズにおいて、決して相容れることのなかった叙情的評論家とアカデミックな理論家をつなぐ存在として、本書は貴重だと思う。
ジャズの理論書は多いが、本作はジャズメンの下世話なエピソードや、当時の思潮、文化的流行、さらにポップス等他の音楽のトレンドをジャズ理論の中に位置づけており、言及される固有名詞の幅広さが、音楽理論に通じていない学生に興味を持たせる強い理由になっているのだろう。
特に本書の山場は、1959年に発売された歴史的なアルバム群を分析する箇所。そこでバップを極限まで進化させるコルトレーンと、バップを超えて次の音楽を模索するマイルスの、二人の音楽性の決定的な違いを解説する手際は鮮やか。
菊地氏の音楽活動が、本書にあるような教養に裏打ちされたものであることを理解できることも興味深い。