ここのところ80年代を顧みる著作が数多く出版されている。その中心となっているキーワードは「おたく」と「バブル」だ。著者が指摘するように、ピテカン、テクノ、ニューウェーヴ的なものは隠蔽、忘却されている。当時は逆だった。「おたく」も「バブル」も水面下で進行していたわけで、時代の象徴はピテカン的なものの側にあった。この20年の間に“時代のヘゲモニー”は「文化」から「資本」へ移行完了したのである。ピテカンを頂上とする「いいものもある悪いものもある」という文化的ヒエラルキーは、六本木ヒルズを頂点とする「勝ち組負け組」の資本的ヒエラルキーへと取って替わった。このパラダイムシフトの要因としてセゾン文化の功罪が挙げられる。ただ、著者が指摘する“「おいしい生活」の虚構性に皆が気づいた=バブル崩壊”というのは若干違うんじゃないか。皆、「おいしい生活」の虚構性に気づこうとしないって状況がさらに進行しちゃったんじゃないかと。大塚英志は糸井重里の仕事を“団塊世代が主導した消費による階級闘争”と評した。それを多くの人々は“文化でもなんでも金で買える”って誤解したまんまなんじゃないか。文化よりも資本のほうがえらいって言う。だから「かっこいい」の価値は下がった。“いいものが売れる”から“売れるものがいい”に時代は移った。文化では「感性」が差異を生むけれど資本では「情報」が差異を生む。だから「感性」じゃなく「情報」勝負の「おたく」の方法論が今の時代にマッチしているんだろう。
もし仮に80年代がスカなんだとしたら90年代は大スカである。ビーイングとかがまさに「情報」で大儲けした90年代を(作業としてはつまらないにしろ)、検証、総括する必要がきっとある。80年代の“若者文化”を創っておきながら、90年代に入るや否や80年代を断罪したJICC/宝島の反動ぶりはその研究対象になるね。