川本三郎の町歩きエッセイはいい。東京近郊の日常的な町をテクテク歩き、夕暮れにビールを一杯やって、それから必ず一泊するってパターン。この、東京近郊で一泊ってのが、散歩と旅、日常と非日常の中庸でいいんだよなぁ。著者はこう書く。「中央線沿線の飲み屋は、どうも近年、「居酒屋」というより「小料理屋」が多くなったような気がする。凝った付き出しなどを出して、老舗の気分にさせる。こちらは、そんなものよりポテトサラダが欲しいのに」。本当にそうだ。「小料理屋」より「居酒屋」を、「老舗の名店」より「大衆食堂」を選び、そしてどんなに家から近くても訪ねた町の宿に一泊することにこだわりながら、朝は吉野家の納豆定食で簡単に済ます中庸に深く共感するのである。
そして、散策者として働く人たちへの敬意、遠慮を常に忘れない姿勢にも賛同する。決して自らを高みに置かない。町を上から見下ろして語らない。川本三郎の視点はそうではなく、日常的に住む人には見えにくい、あるいは現実には見えなくなってしまったものを見ようとする散策者の視点だ。「町の散策者としては、現在の風景のうしろに、消え去った近過去を見ている。変化の激しい東京では、町の散策者は、見えない風景を見ようとする幻視者になる」ということ。
著者の散策は、起点も終点も駅であることが東京の特徴を示しているし、読んでいて楽しいところ。 「鉄道がないということは駅がない。駅がないということは商店街がない。これが寂しい」「東京の町は、商店街から商店街へと町がつながっている。だから歩いて飽きない」なんて本当にそうだし、東京に住んでる者が、よその土地の人に自慢できる(唯一の?)点だとすら思う。商店街を“日常的な縁日”と表現する著者のセンスもいい。ああ、東京自慢がもうひとつあった。 「東京の冬の良さは、青空が美しいこと」。そうそう、正月の東京はいいんだよ、町が澄んでてさ!