私の両親はともに岡山出身で、とくに父は家では大阪弁まじりの岡山弁(疎開の関係で)しか使わなかったため、その子供たちもほぼバイリンガルである。
盆暮れと田舎に帰れば、従姉妹たちと遊ぶうちに岡山弁になっていた。よって岩井志麻子のしゃべる言葉は私にはごく自然である。「じゃ」「じゃろう」「じゃが」「じゃあ」は当たり前。
が、このエッセイを読むことによって、あることが判明したのだった。わが家を飛び交っていた岡山弁は、ほとんど否定的な方向のものばっかりだったのである。
「そねえな(そんな)」とか「いけるもんか(なるものか)」とか「おらんで(いない)」とか。父の発する否定形の岡山弁は「そねえなものは○○の家にはおらんで(子供の出来が悪いことに怒っているときの定番)」とか「なにをしょんなら(怒っているときの定番)」などで表現された。そんな父も今は亡いが。
逆に、この本で紹介された言葉は初耳のものが多く、母もほとんど使ったことがない、というものが多かった。「そ」については、母によると、気位の高かった祖母が嫁である母にほんのときたま使ったらしいので、目上の者が目下の者に使う言葉のようである。「ぼっけえ」と「きょうてえ」は父母ともほとんど使用しなかった。「ワシ」は、年配の女性でも使ったのを聞いたことがない。
思うにこれは、地域の違いもだいぶあるようだ。岩井は北東部、私の父母は中南部の岡山である。母方の祖母の口癖は「ええようにせられえ(孫が不機嫌になったとき)」だったなあ。私の知る岡山は気候がよくて、生活に困らないために人はみなちょっとバカなくらいゆるくて、「ド」がつく田舎。とまあローカルな話はこのくらいにして、このエッセイは、とびぬけて面白かった。この本で岩井と出会い、また己のルーツである岡山と邂逅した私は、小説も含め他の岩井作品への旅に出るのだが…。つづく。