新鮮だったのは西国(朝廷)が東国(武士)と対抗する上で東北地方と結びつこうとし、関東は九州と結んで朝廷を挟撃しようとした、という構図が見えるという指摘。特に、足利尊氏が権力を掌握する過程で、いったん九州に逃れてから建武朝廷を打倒する課程は、その構図が見事にあてはまる。確かに尊氏の「東北から九州をまたにかけた、日本史上まれにみるといっても決して過言でない、大きなスケールをもつこの軍勢の大移動は、まさしくさきの地域間の連合・対立の全面展開以外のなにものでもない」(p.261)という主張にはワクワクさせられる。そして東北と関東の対立は、俘囚の長といわれた安倍氏の乱を関東の武士が抑えることによって生まれたという指摘も納得的だ。
東と西の違いは東日本が家父長制的なイエ社会であり、西日本では母系的なムラ社会であることに起因するという宮本常一さんの説も紹介されている(p.46)。名主(東)と庄屋(西)という呼び方、交通手段における馬と船、やくざと忍者、宗教における曹洞宗と一向宗の広がりなど学問的に解明されていないものも含めて、思った以上に深いものだな、と改めて感じた(pp.307-308)。
「人の心のまかれるをはすて、なおしきをば賞して、おのすから土民安堵の計り事」をなしてきたという武士たちがつくった御成敗式目に対する「前近代の合議体の規範としてはおそらく最高水準に属する」という石母田正氏の評価は(p.217)、ぼく自身も関東の産だし心地よすぎる。