確かにそう言われればそうである。村上春樹の短編「ハンティング・ナイフ」で、「僕」にはなぜ、海に浮かぶブイの上に寝そべっていた肥った白人の女が、一言の会話もないうちに「アメリカ人」だとわかるのか。「午後の最後の芝生」の「僕」はなぜ15年前もの出来事をかくも鮮明に覚えているのか。
「再読」と題された本書は、村上作品で我々がこれまで読み過ごして(読み飛ばして)きたテクストの細部をつぎつぎに指摘していく。1章を読み終えると、次章ではいったい何が取りあげらるのか、と楽しみが膨らむ、スリリングな本である。村上「夜のくもざる」に「構造主義」と題された掌編があり、「構造主義について何も訊かないでほしい」という語り手の心理を「構造主義を意識しないよう、意識している」と見る著者は、それらテクストの解読に、「底意地が悪い」と感じつつ、構造主義の知見を引き寄せる。それがまたこの本の「底意地が悪い」からこその痛快さにもなっている。そして、村上春樹を読みながら、痛快に、現代思想も学べる。
大学の授業を意識して書かれたらしいが、こんな授業だったら受けない手はない、と思わせる一冊である。