『1Q84』の公刊後、多くの解説書や評論が世に出たが、それらのほとんどが、村上春樹による壮大な小説世界にちりばめられた謎の解明に挑むものばかりだった。「空気さなぎ」は何であるのか。「さきがけ」は実在するのか。天吾と青豆の逃走の先には何が待ち受けているのか・・・。確かに、謎の解明は村上春樹ファンにはおもしろいかもしれない。しかし、目先の謎に振り回されたそのような解説書や評論では、村上春樹の意図に迫ることも、謎を点在させる村上春樹世界の全体像をつかむこともできない。ましてや『1Q84』とそれ以外の村上春樹作品との関連性などを問うことすらできないだろう。
これまでの解説書や評論にどこか満足を得ることができなかった村上春樹ファンに待望の一冊が出た。それが、『村上春樹を読む。』だ。
著者は『1Q84』を、枝葉末節にとらわれず、天吾と青豆が織りなす「プリミティヴな愛」だけに注目して読み進めるべきと力説する。様々な謎の解明ばかりを急ぐあまり、せっかくの村上春樹が紡ぎ出す物語世界を心から楽しむことができなくなってしまうからだ。枝葉末節にとらわれなければ、村上春樹作品は難解ではないと、著者はいう。
『1Q84』以前に書かれた数々の村上春樹作品を、著者は非常に繊細な筆致で説いていく。中でも『ノルウェイの森』と『1Q84』を、時代のセックス観を通して比較した章は非常に説得力がある。ここでは、時代に拘束された女性のセックス観と奔放なまでに商品化された女性のセックス観を対置することで、双方の時代性や恋愛観を浮き立たせ、村上春樹が「性」を通して「生」を描いてきたことを教えてくれる。
様々なキーワードを通して展開される村上春樹ワールドの間に、4つのコラムも差し込まれている。そのうちの「マスダ名曲堂」は秀逸だ。著者の高校時代の思い出とともに書かれたものだが、神戸の三宮駅前にかつて存在したレコード店に、著者と村上春樹がまったく同じように通い、店主とレコード談議をしていたことがわかる。村上春樹が神戸を愛したように、著者もまた神戸を愛し、村上春樹がその風土を通して直感力や想像力を培ってきたように、著者もまたそれらを培ってきたのだろう。宮脇俊文氏ほど村上春樹作品を身体で理解し、評論する著者もいない。村上春樹ワールドを深く知るためには、ぜひとも読んでおきたい一冊だ。