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本田は「私の履歴書」でこう述べている。「私がやった仕事で本当に成功したものは、全体のわずか1%にすぎないということも言っておきたい。99%は失敗の連続であった。そしてその実を結んだ1%の成功が現在の私である」
自動車修理工から身を起こし、一代で巨大自動車メーカーを築き上げ、「HONDA」ブランドを世界にとどろかせた希有の成功が1%でしかないならば、残りの99%はなんなのか。本田の言葉をたどると、失敗した99%にこそ、たぐい稀な人間ドラマが見つけられる。
本書は本田が56歳のときに連載した「私の履歴書」と、1962~1991年の足取りをまとめた編著者による「履歴書その後」、さらに「本田宗一郎語録」の3部構成で描きだしている。外国から体中に部品を巻き付けて強引に飛行機に乗り込んだり、四輪自動車への進出を規制する官僚にたて突いたりといった破天荒なエピソードに満ちあふれている。モノづくりへの情熱や創意工夫、物まねを嫌い独創に賭ける精神、ヒューマニズム、そして天才技術者としての側面など、本田の原点もここに感じ取れる。また、強烈な成功体験をもつ創業者の世代交代問題などのテーマも取り上げられている。スーパーカブやN360などの開発経緯は、ホンダのマシン愛好家にとって見逃せないところだ。この本田の壮大な生涯は、不景気に萎縮するビジネスマインドへの大きな刺激となるだろう。(棚上 勉)
内容(「BOOK」データベースより)
自動車修理工から身を起こし、「世界のホンダ」を一代で築いた日本のビジネスヒーロー、本田宗一郎。彼が自らの前半生を回顧した「私の履歴書」を中心に、人間的魅力に満ちたその生涯をたどる。後半部には、彼が社内報等に寄せた文章をもとにまとめた「本田宗一郎語録」も収録。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
本田 宗一郎
1906年静岡県生まれ。22歳で独立、浜松で自動車修理工として成功するが飽きたらず、エンジンやピストンリングの研究を始める。戦後、本田技術研究所を創業し、自転車に小型エンジンを載せた通称「バタバタ」を発売。1948年、本田技研工業(株)を創業し社長に就任。オートバイ「ドリーム号」「スーパーカブ号」などを次々に開発し、二輪車で世界のトップメーカーとなった。その後、四輪車に進出、低公害のCVCCエンジンの開発などを成功させ、世界的自動車メーカーを築き上げた。73年、社長を退く。91年8月、肝不全のため84歳で死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1906年静岡県生まれ。22歳で独立、浜松で自動車修理工として成功するが飽きたらず、エンジンやピストンリングの研究を始める。戦後、本田技術研究所を創業し、自転車に小型エンジンを載せた通称「バタバタ」を発売。1948年、本田技研工業(株)を創業し社長に就任。オートバイ「ドリーム号」「スーパーカブ号」などを次々に開発し、二輪車で世界のトップメーカーとなった。その後、四輪車に進出、低公害のCVCCエンジンの開発などを成功させ、世界的自動車メーカーを築き上げた。73年、社長を退く。91年8月、肝不全のため84歳で死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)