冒頭に本書の巻頭言に当たるべき「ブッキッシュであること」という一文が掲げられている。
bookishとは訳せば読書好きということであろうが「本に対する偏愛」とも取れることばである。
著者の弁によれば「本を師匠にするしかない対人関係不全人間」ということになる。
本書はその支障に導かれた作家大岡玲画素の思考の翼を異界へと飛ばす作品である。
なかで私が印象に残ったのは、太宰治『走れメロス』に対する違和感を論じる文である。
私んも同様に違和感を持ったが、その正体はなんなのか、
著者の解釈を読んで納得した。
「高校の頃に『走れメロス』を読んだ」著者は「居心地の悪さといいしれない困惑を感じた」
私も同じだった。
読後に「これは何かの宗教か政治組織の白々しいプロパガンダ」ではないかと思った。
私はこれは太宰治ではない人が書いたのではないかと思った。
著者太宰の作品(『お伽草紙』の系列に属するもの)が好きだが
「独特の負け犬的ユーモアが余り感じられない」と思った。
私も同様である。しかし此処から先が私では思いつかない作家ならではの思考の飛翔である。
古伝説とシルレルの詩にある話の筋を使って「太宰はこれをただ器用にまとめただけ」
「友情を観念的に昇華しないでただ普通の友情として書いてしまった」
つまり私流の乱暴に理解すれば『走れメロス』は太宰治の手抜き先品だというのである。
「太宰治の手抜き」これは笑える。可笑しい。手を抜いても、皆が知るこのくらいの作品なら
いつでも書いてみせますよ、という太宰治に心の奥深くに潜むプライド。
と思えば違和感が完璧に解決するのである。
さて、ここからは私の素人の当て推量。太宰治と同じ時代を生きた作家に
中島敦(1909年〈明治42年〉- 1942年〈昭和17年〉)がいる。
中島には清朝の説話集『唐人説薈』中の「人虎伝」を原典とする『山月記』というこれまた名作があるが、
太宰治(1909年〈明治42年〉- 1948年〈昭和23年〉)はきっと
「おれだって『山月記』なんか書いて見せる」と思ったのではないか。
………と思ったが残念。『山月記』は1942年(昭和17年)『走れメロス』は1940年(昭和15年)の作品であった。
とすると、中島敦が『走れメロス』の影響を受けた可能性が……ってしつこいですね。
ところで私は岡林信康の歌『友よ』にも同じ違和感を感じているのだが
『チューリップのアップリケ』や『ガイコツの唄』と違って『友よ』が手抜きだとしたらこれまた可笑しい。
何しろ山中に潜み、軍事訓練を行っていた連合赤軍のメンバーが『友よ』を合唱していたのだから。