ずいぶんと待ちました。『雪沼とその周辺』に連なる短篇集です。
『いつか王子駅で』などの中篇での語りの、微妙な〈踏み外し〉の感覚も好んで読んだのですが、〈語り〉としてのミニマリズムに徹したのでしょうか、氏の短篇の、短篇でしか味わえない妙味を存分に堪能できる作品でした。
おそらく形式にはとかく敏感な作家なのでしょう。エッセイには小説のような〈試み〉を、小説には随筆や日記断章的な形式を意図的に導入する。堀江さんのよく使うことばでいえば、〈はざま〉を目指した文章が、それまでの『回送電車』シリーズや『河岸忘日抄』などには顕著です。
ただ少なくとも、この〈雪沼〉連作に関しては、堀江さんは小説家として、小説家の書く短篇の可能性の海に素直に飛び込んだ、といえるのではないでしょうか。 クレスト・ブックスでは短篇のアンソロジーも組んでいるし、ロジェ・グルニエや小沼丹、阿部昭、島村利正の短篇小説も偏愛しているようです。自分からはけっして〈小説家〉とは名乗らない〈ものかき〉が、かなり真正面から小説家として取り組んだのが、この短篇連作なのではないか。
おもに描かれるのは、関係性の一回性、恣意性です。年端も行かない少年を語りにそえた作品が多いのも、そのためでしょうか。どの作品にも家庭が出てきますが、明哲な〈家族のきずな〉を描いた作品はひとつもありません。両親が離婚していたり、その前段階だったりと、本来、十全であるべきとされる関係性のほころび、もろさが、主にこどもの目線から、危機的状況としてではなく、ごく日常的な齟齬の感覚として描出されます。母親として、父親として、親戚や同僚として、十全にはその立場を受け持ちえていない不完全な人たちが、この作品には多く登場します。
そんな、人と人とがその場かぎりの不安定な関係のなかでしか繋がりえない〈はかなさ〉が、湯煎のように適度な微温をたもった文章によって綴られています。
『滑走路へ』と『トンネルのおじさん』の最後の一文は、とくに胸に残りました。