評論とは違って小説は、自由に読む権利を持っている(P.122-123)。その読みを通じて、まだ言葉にならない「未来形の自分」を探していく。それが読書である、と(P.44)。
こういうのを聞くと、やっぱりこの人は学校の先生なんだな、と思ってしまう。石原自身が言うように、学校の教員は、何より成長物語が好きだからだ(P.26-27)。
しかし、評論とは違って小説に対しては誤読する権利を認める。そういう参加型の読書を勧めているワリには、小説の定義を定めていないのはどういうことなんだろうか。何を読んでも、「いや、これは小説なので、こういう「読み」は許されます」というのでは、ただ呆れられる。