このような文章で、戦争を、戦争における極限状態での人間を記録した人を僕は他に知らない。
この本に収録されている名文「ペシミストの勇気について」の中で、石原は強制収容所における生活を自己の生存のための行為を含めて「被害者」の立場から眺め書くだけでなく、「被害と加害が同在するという現実」に位置づけて書いている。
そして、全ての望みを失い、ペシミストになることで保てた、ペシミストの明晰な目を持つ事で保てた友人鹿野の人間性に、石原は光を見出す。告発が告発であることが不毛となり沈黙(空席)の中でしか告発できない状況下にあってペシミストになることで示した人間の尊厳の価値を、石原は極限状態にありながらも見逃さない。
彼の痛烈な精神に圧倒されながらも、「被害者の中から人間は生まれない。加害者がその意識を自己に向けた時に人間は生まれる」という彼の祈りに近い言葉を、現代にあてはめて考えてみる(あえて国は限定しない)。
すると、現代の社会構造(世界構造)が人間の自立を保障せずに「被害者意識」という残酷なものの中に差別などで人を閉じ込め、また、その構造に加担しながらもそれを意識せずに生きている人が自分を含めて多いことに気付かされる。こうして石原が戦争体験の中で見つめた人間というものは、現代にも生き続けているのである。
だから、この本は「かつての戦争(この戦争もまだ終わっていない)」における人間の記録としてだけでなく、時代を超えた人間への眼差しで我々に訴えかけてくるところにも価値を内在させているのだ。
そして、歴史の一部分を生きる者として石原の人間への眼差しを見つめ直さなければならないと、僕は思う。