ドイツ占領下のフランスから潜水艦で持ち帰った資料、しかも2隻の艦艇に分けて積載されたうちの片方だけの設計図(にも満たないカタログ程度のもの)・資料から開発実話が始まります。物資が不足し敗色濃い日本に6ヶ月でこんなもの本当にが出来たのだろうかと丹念に読みました。ボーキサイトが入らない国内工場では、主翼と垂直尾翼は何と木製で、しかも高度10000mまで3分で上昇という凄まじい設計・要求性能でした。酸化剤である濃度80%過酸化水素水を操縦手の左右タンクに、液体燃料ヒドラジンを翌内タンクに供給しての飛行は敵機による銃撃以前に危険を孕んでいたと云えます。設計図が無い部分や設計図のとおり出来ない部分は日本独自の技術力でカバーしていったと記されています。日本人の手先の細やかさや、繊細な感性がこのロケット戦闘機開発を成し遂げたのだと思いました。昭和20年7月7日の初飛行を隠し撮りした貴重な写真や、図面、隊員達が撮影した種々の写真が惜しげも無く挿入されており、開発から初飛行、秋水実戦部隊編成まで一部始終が克明に記されています。ただ、ドイツ本国でもこの戦闘機の運用が極めて限定的で着陸時には危険を伴い、戦果も期待されていた程あげられず、日本に至っては量産すら間に合わななかった事から、日本側の開発に費やした労苦は全くと言って良い程報われず、万事遅すぎたようでした。終戦後は米国に一部接収されて無惨に朽ち果てていったと記されています。DVDでは初飛行を忠実に再現したものと、模擬戦闘シーンが入っています。この『秋水』と『震電』が1年早く実戦配備されていたら、戦争に勝てはしなくとも大空襲や原爆投下はひょっとしたら防ぐ事が出来たのかも・・・と今は思います。