これまで司法消極主義に立脚すると云われてきた最高裁の近時における司法積極主義への漸進的な転換の内部過程を、光市母子殺害事件、在外選挙権制限や国籍法をめぐる訴訟の具体的な展開をはじめとする豊富なエピソードなどを交えて描き込み、読ませる一書であった。最高裁判事たちや調査官たちの誠実に思索しかつ苦悩する等身大の姿をよく理解することができた。
「国籍法訴訟での津野の奮闘は、そうした文脈の中に置いてみると、「内閣法制局的なるもの」が敗れ始めた時代のエピソードの典型例だと言える」(186頁)。
「どんな少数意見でも、それがどう社会の趨勢を変えたのかをはっきりと検証することは難しい。少数意見は時代を先取りする先見の明と考えることもできるし、社会のほうが少数意見の有無と関係なく、自然と変化していくこともあり得るだろう。少数意見と社会の声とは、鶏と卵の関係のようなものでもある」(209頁)。
「中川は2人の立場の違いを、「時代の変化とともに法律や憲法の意味が変わりうるというブライヤーと、法律や憲法も制定当初の意味に忠実に理解すべきで、それに裁判官が手を加えるべきではない、とするスカリア」と説明する」(217頁、二人の米国最高裁判事を対比した中川丈久神戸大教授の言葉より)。
「問題に気づいた途端に、経済の破綻から生じた閉塞感から、ともかくも変えることがいいことであるといったエモーショナルな雰囲気が支配していたことは大きな不安要素でもあった」(231頁、裁判員制度の導入に関する竹崎博允最高裁長官(当時事務総長)の覚書より)。
最高裁判決が時代を作るのか、時代が最高裁判決を動かすのか。個人的にはどちらかというと後者であるようにも思えるが、いずれにせよこれからの最高裁からは目が離せないと感得させてくれた好著である。裁判や時事に関心ある方には一読をお勧めしたい。