著者の出身地を知ってまず驚いた。私の郷里の隣町である。私の子供時分には、近所のおじさんで南方に出征した経験者が多かった。みな、子供の質問には暗い表情で多くを語ろうとはしなかったものであった。
6年間の長きにわたる著者自身のidentityとは、第124連隊にあった。この福岡を根拠地とした連隊を追うようにして、青年時代の著者は中国、ボルネオ、そして大激戦地の飢餓の島ガダルカナル、そして運命の地、インパールへの死と生の漸近線が殆ど交差する点までを敢えて苦渋のうめきを上げながら、一歩、一歩、巡礼者の如く、徒歩で歩んだのであった。
ガダルカナルでの激しい戦闘よりも更に苛酷であったのは飢餓であった。それは、あらゆる動物、蛇、蜥蜴から死体に群がるウジ虫までを口に入れねばならない、米兵の死体をも口にした兵もいたのであった。大岡昇平の「野火」で繰り広げられた世界がそのまま現実の日常であった。
九死に一生を得た著者が次に向かったのは、運命の地、ビルマインド国境、インパール、マンダリン、イラワジ河であった。その中でも撤退敗走する日本軍の殿を担った著者らが目にしたのは、至る所で折り重なっている数百、数千の白骨になった、あるいは腐乱しつつ死に切れない日本兵の無惨な姿であった。が、それに手を差し伸べる間もなく、来る日も来る日も英軍の爆撃と砲撃に曝されながら、数百キロの道のりを徒歩で、泥水の壕にもぐりこみ、ジャングルを駆け巡り、四十度のマラリアの熱にうなされ、飢えに悩まされながら、まさにはうようにして撤退していったのであった。
この生き地獄を潜り抜けた著者は、運が良かっただけであると謙遜している。
が、しかしそれは幸運でも奇跡でもない。
著者自身の生命を救ったものとは、一番目に著者の持つ高い倫理観、正義感、使命感である。
どのような窮地、死地に己が瀕している場合でも、戦友を絶対に見捨てない、生きていれば勿論、たとえ死んでいると予測しえる場合においてでも。
帝国陸軍の悪評ばかり耳にしていた私にとっては、これらの名もなき下級兵士らが保持していた高い倫理観は、意外でもあり、同時に己の先入観の不明を恥じた。今日の我々が喪失した最も貴重な美質、日本人のidentity、そのものである。
二つ目に、彼らの持つ高い現実検討能力、分析力である。無謀な命令、敵陣深い偵察任務などであるが、であっても、ぎりぎりまでは危険に身をさらす。しかし、引き際もきちんと心得ているのである。そして総合的には任務を全うできる何らかの成果を得て、帰隊する。
三番目に、彼らの合理主義である。旧式三十八式歩兵銃、軍旗への幼児じみた崇拝、軍刀と拳銃しか携行しない、つまり非戦闘員でしかない将校への批判は、現場の古参兵士の声として何度も出てくる。
少数の彼らが英軍の大部隊を撃退した華々しい最後の戦闘が、英軍から多数捕獲した自動小銃で得たものであったとは、現代のゲリラ戦にも通じる実に辛辣な挿話である。と同時に彼らの観察力のしたたかさを物語っている。
最後に、終戦後、降伏し捕虜として抑留中の著者らが、収容所で素人芝居から発展し、数万人の観衆を前に大演劇大会を催すエピソードもしみじみと心を当たれる。血まみれの悪鬼のような戦士が、楚々とした女形を演じるのである。彼らの本職は、和裁の裁縫師、舞台大道具、脚本家、等々であり、様々な職種にわたり網羅されていたのである。
戦争という狂気の世界から、日本人の心性に深く根差す人情物を演じるなかで、ごく普通、日常という貴重なものを取り戻していく人間の心の柔和で柔軟な蠢き、情念を、彼ら自身の物語と完結していくなかでの句読点として、再構成していったのである。彼ら自身の手で、生涯消えることのない深い傷を、なんとか互いの手で止血縫合したのであった。
左右の政治的立場を超え、全ての人に読んでほしいと思う次第であるし、大手メデイアがこのような貴重な事実を何故伝えないのであろうか、あるいは知悉されてはまずいことなのかもしれない。