現代に「悪人正機説」がなぜ流行るのだろう、
という問いと、そもそも「悪人正機」とは何か、
という問いを持って、本書に向かいました。
親鸞が生き、活動した時代の貧困と混沌の在り様、
悪行を選ぶか死を選ぶか、という程
ひっ迫した状況にあった多くの民が、
愚僧と自称する親鸞の信心に出会うことによって救われた事実が
本書にはつぶさに記されていて、
私は得心が出来、感銘を覚えました。
著者が試行した、親鸞における〈信〉の解体は、
ある意味では大いに成功を収められた、と言えるでしょう。
しかし、結論として、親鸞を、信心よりも思想の人とみなされたところには、多少の違和感を覚えました。
最後まで〈信〉に迫る親鸞の気迫を、感じたかった、というのは、
私の我儘でしょうか?