世界の極貧国についての原因分析と、それに対する対処を提案した本。先進国/途上国という二分法の中から脱出し、途上国の中にさらに最底辺国という区分を設けた。この概念設定により、極貧国を途上国一般の問題から切り離して提示する。こうした極貧国はアフリカに多く存在するため、アフリカ中心の議論だ。ただし、極貧であることがアフリカ固有の問題(「アフリカ・エフェクト」)だとは著者は認めていない。
本書は事例を提示した本ではない。アフリカの貧困の実態について、事例を挙げて提示したものではない。それは、ジャーナリストが鮮やかに書いている他の本を見ればよい。本書はデータを多く用いた、抽象的分析と提言の書だ。それも、全体的にきわめて冷静な、ある意味では冷酷な分析だ。貧困から容易に抜け出すことのできない国々の現状と、それに対してできることの僅かさ。その僅かな中でも、できるだけのことをなそうと提言する著者。非情な努力である。それは、こんなに貧しい人々が生きる世界に自分が生きていることへの強い憤りに根ざしている。
著者の分析によれば、極貧国を極貧から脱出できないようにする「罠」は以下の四つである。(1)紛争の罠、(2)天然資源の罠、(3)内陸国の罠、(4)悪い統治の罠。私には特に、天然資源に関する話題に眼を開かれた。資源があるからといって発展できるというより、むしろ資源がある方がその国を発展から遠ざける。また、資源国では民主主義よりも独裁制のほうが発展は早いという指摘。さらに、近年の中国が行っているアフリカ資源外交は、アフリカ諸国を貧困に固定するだけだ、という主張。
これら原因の分析に続いて、グローバル化が極貧国に与える影響が考察される。人・金・物の高い流動化は、逆に極貧国から資本を逃避させる結果になっている、と。以上をふまえて、四つの対策手段が語られる。(1)資金援助/技術援助、(2)軍事介入、(3)法の制定、(4)貿易政策。これらは現実的に語られている。資金援助が功を奏さないのはなぜか。ある時期までは技術援助のほうが有効であること。また、軍事介入の必要性。イラク、ソマリア、ルワンダ、マダガスカルの例が引かれる。さらにあまり重視されない、法制定の重要性と、関税を中心とする貿易政策について。加えて、これらの対策の検討に基づき、各国の援助政策の誤りや、クリスチャン・エイドなどNGOの誤りが鋭く批判される。
これらの分析や対策を「上から目線」「新植民地主義」「逆差別」と批判するのはたやすい。しかし実際に先進国は「上」にいるのである。軍事介入をしなければ、国は好転しない。極貧国を特別待遇しなければ、彼らは貧困から抜け出せない。理想を語ることは容易にできても、現実にできることはごく僅かだ。本書を貫くのは、現状についての冷めた眼と、ある種の諦念であろう。
私には次の言葉が印象に残る。特にアフリカ援助に携わるわけでもなく、アフリカ問題が単に「遠い国のことでしかない」私には。
「しかしあなたの仕事が開発と関係がないために、自分には責任がないと考えてはならない。あなたは市民であり、市民であることには責任が伴うのである。[...]この過失【第二次世界大戦における政治的過失】によって彼らの子供たちは大量殺戮されることになった。再び回避可能な大惨事へ迷い込むことを阻止するのは、すべての市民の責任である。/そして、それは避けることができる。」(p.285)