この本を読んで、あまりにおもしろかったので『<狐>が選んだ入門書』
『水曜日は狐の書評』と、たてつづけに買って読みふけってしまった。
この書評家のぬきんでた美点は、書評対象からの引用の的確さにある。
その引用部分の魅力を、同じ著者の別の著作や全く別の著者の言葉などを
自在に援用することによって最大限の効果で、読者に提示してくれる。
『<狐>が選んだ入門書』(ちくま新書)で、山村修は内田義彦の
『社会認識の歩み』を書評しているのであるが、そこでは
「断片断片を身につまされる形で知る」という内田の言葉を主軸に据えて
この書物、この著者のエッセンスを取り出してくる。
山村の書評のスタイルは、この内田義彦の寸言の実践に他ならない。
つまり、断片断片を身につまされる形で読者に知らしめる、のである。
少なくとも私は、これにより「断片断片を身につまされる形で知る」
という内田の言葉それ自体を「身につまされる形で知」ってしまった。
確かに本を読むというのはそういうことかもしれないなぁ、と感じ入ってしまった。
この書評家の術中に気持ちよくはまった爽快感があった。
思うに山村修という人は、「身につまされる」ような言葉や書物を読むことが
すなわち生きることと同義であるような、そのような人生を送った人なのだろう。
そういう人の書いた長目の書評集である。
内容紹介なしでも
これで、おもしろさは十分伝わると思う。
惜しい人を亡くしてしまった。