対談の冒頭から、2人の立場の微妙な違いが浮き彫りになります。佐藤は自身は月面着陸を信じているとしつつ、副島の『
人類の月面着陸は無かったろう論』を「正しい証明とはどういうことかという、認識論の根本問題を論じている」ものと位置づけ(p18)、擁護しようとします。副島はこれに対し「佐藤さんが言いたいことで大切なことは、『信じる』か『信じない』かの問題なのですね」と確認しつつ、「だが、人類の月面着陸はありえない。そんなことは無理なのです。できないことはできない。私はそのように信じています」(p20)と、佐藤の擁護論を台無しにしています(笑)。佐藤はいかにも同志社神学部出身らしく〈信/不信〉の問題にこだわっていますが、これは自分が月面着陸を信じているから、副島の不信との対立で「認識論の問題」が見えてくるのであって、副島は端的に月面着陸を否定しているのです。
この構図は、ほぼ本書の全体について当てはまります。副島が「(笑)」付きながら「予言者」を自称するのに対して(p26)、佐藤は副島を「預言者」と呼び(p2)、インテリジェンス関係の業務に携わった外交官時代の経験に触れながら「そこで導かれる極端なシナリオについて検討することがインテリジェンス機関の分析能力を強化する」(p3)と、副島を救おうとします。傍若無人に驚くべき言葉を紡ぐ預言者の傍らで〈信/不信〉の問題を問い続ける姿は、まさに神学的です。
私には、本書で論じられていることの真偽を判定することは出来ません。さしずめ信にも不信にも徹することができず迷う哀れな子羊、ということになるでしょうか?
1つだけ。佐藤がユダヤ・ロビーを「大学のボート部や応援団のようなOB会や体育会系のようなネットワーク」(p39)に喩えているのは、上手いと思いました。使わせてもらおっと。