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暴力 6つの斜めからの省察
 
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暴力 6つの斜めからの省察 [単行本]

スラヴォイ・ジジェク , 中山徹
5つ星のうち 3.0  レビューをすべて見る (4件のカスタマーレビュー)
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商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)

紛争・衝突と内戦、テロと暴動そして流血だけが悲惨なのか。貧困と暴力にきめこまかに心を配る一方で、グローバリズムに邁進する政治・経済システムから大胆に搾取するリベラル・コミュニストの欺瞞こそが、今日の暴力の最たるものではないのか。ポスト資本主義時代の“暴力”の諸相を根源から捉え直す、創見溢れる論考。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

ジジェク,スラヴォイ
ロンドン大学バーベック・カレッジ人文学ディレクター。スロヴェニアのリュブリアナ大学教授。ラカン派マルクス主義者として、哲学から文化批評まで世界の思想界を活性化し続けている

中山 徹
一橋大学大学院言語社会研究科准教授。イギリス文学専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

登録情報

  • 単行本: 293ページ
  • 出版社: 青土社 (2010/10/23)
  • ISBN-10: 4791765737
  • ISBN-13: 978-4791765737
  • 発売日: 2010/10/23
  • 商品の寸法: 19.4 x 13 x 2.8 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 3.0  レビューをすべて見る (4件のカスタマーレビュー)
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By イッパツマン トップ500レビュアー
 例えば、ブッシュJr.により表象される新自由主義が弱肉強食を推し進めるものであるとして、それを用意したものが60年代以降に根付いたリベラリズムだったという逆説。このように一見対立関係にある様々な言説がラカン派精神分析理論を通してみると同一であるというジジェクの整理は本書でも相変わらず見事であり、読み応えがある。基本的に欧米史の事例が多いが、反ユダヤ主義やパレスチナ情勢を巡る分析などは日中韓の間の歴史認識を巡る論争にも適用可能なものがあるように思う。

 ただ、現在の様々な危機にどのように対処するかという個別の具体論になると、結構混乱もある点は否めない。例えば、パレスチナ問題の解決法としてエルサレムを「中立的な国際的軍隊が(一時的に)管理する、国家の外にある宗教的崇拝の場所に変えること」(p.157)が提起されている。中東紛争の当事者ではない日本人にしてみると非常に理性的方策なように聞こえるのだが、実際問題、じゃあ竹島や南沙諸島などを想定しながら全ての国境紛争地にこの方法を適用することを考えてみると、地球上から全ての国境が消されない限りは実現不可能な話であることに読者は気付く。ここでのジジェクは超ラディカルであるが、それ故に実現の難易度も高い。そして、なぜエルサレムだけ特権的にそのようなことが可能なのかは語られない。(そもそも、「一時的」措置の後はどうなるのか。)

 他方で、本書は「民主主義における自由の儀式の脅迫的な性格」(p.262)を脱臼させるために、選挙における白紙投票の有効性を説きながら、「なにもしないことが、ときにはもっとも暴力的な行為となる」(p.264)と結ばれる。この結論をやはりジジェク的ラディカリズムと読むことも勿論可能だが、白紙投票は単に無視されるだけではないかという突っ込みも可能であるし、また「なにもしないこと」で「エルサレムに国際的軍隊を派遣すること」は絶対に達成はできない。

 そもそも精神分析の現場では、あるひとつの症候を徹底して治し過ぎると理論上は逆の症候の原因になってしまうため、実生活上では症候間の「ちょうどよい加減のところ」でうまくやり過ごせるように心のバランスを持っていくことが治癒行為となる。よって、個別症例の対処法は各々の症例によって異なる訳だが、縦横無尽に様々なトピックを語るジジェクの言う解決策が上記のように一見論理矛盾して見えてしまうのも、それはつまり、個別の政治問題の症例/分析モデル化は可能だが、各々の解決ということになると、やはり一般解はないということの裏返しなのかもしれない。なので、百歩譲って個別事例での論理矛盾は問わないとしても、提示される実践解の幾つかに物足りなさを感じたために肩透かし感を受けた僕は星を渋目に削った。が、分析の手際よさだけで満腹になれる読者は普通に四つ星以上つける本だろう。
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2 人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
By 倒錯委員長 トップ500レビュアー
ラカン派マルクス主義者を標榜する哲学者、スラヴォイ・ジジェクによる暴力批判論。といっても、これまでの彼の問題意識を暴力という観点からとらえなおしているといった方がいいかもしれない。

副題にあるとおり、本書は暴力についての「6つの斜めからの省察」がなされている。ジジェクが指弾するのは、まず、暴力とは主観的なものに限らないということだ。このことは、本書の中で繰り返されるブレヒトの「銀行を設立することにくらべれば、銀行強盗なんてかわいいものだ」という言葉の引用に象徴されている。欧米のリベラル資本主義は第三世界の被抑圧者の解放を志している一方で、システムの構造上、同じ相手を収奪しているのだ。要は、マッチポンプということだ。そのほか、他者の他者性を無化しようとする暴力などの指摘は、森岡正博の『無痛文明論』に通ずるものがある。

いつもの逆説に逆説を重ねていく諧謔に満ちた文章なのだが、なるほど、そうは言ってもこの人が筋金入りのマルクス主義者であるということだけはわかる。しかしこれらは、ネグリ=ハートによる<帝国>の議論をそれほど突破できていないし、いつものごとく、彼の議論は状況論の枠をなかなか出てこない。いったい何が言いたいのか、途中で素朴な無神論を唱えたりなかなか見えてこないのだが、最終的に議論は、かつてベンヤミンの論じた「神的暴力」に行きつく。神話的暴力のように法にも倫理にも規定されない暴力、それは愛の逆照射した「憎」というのだが、皮肉なこと最後は「愛」に訴えるところも、実はネグリと被ってしまっている。

それにしても、われわれ日本人という非常に微妙な立ち位置の者にとっては、WASPが牛耳る欧米リベラリズムの側にも仲間入りできないだろうし、被抑圧者による侵入者を排除するための反動的な暴力も振るうに値しない。なにはともあれここはひとつ、レーニンのように我々は「一にも二にも勉強さ!」。
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6 人中、3人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
By ヒソカ VINE™ メンバー
 本書はジジェクによる21世紀の暴力批判論である。種々雑多な考察がなされる本書において、もし首尾一貫したテーゼがあるとすれば、我々の目に直に飛び込んでくる「主観的」暴力、誰によってなされたのかが明確にわかる暴力に目を奪われないこと、前のめりにならないことが求められている(「前のめりになる」ことへの危惧は、鷲田清一も『「待つ」ということ』で表明している)。

 著者がやろうとしているのは、そうした暴力の噴出の背景、その概略を捉えることである。そのように一歩引いて考えれば、暴力と闘い、寛容を促す我々の努力自体が、暴力によって支えられていることがはっきりする。

 本書は、誤った反暴力を退けることから探求を始め、政治的・社会的解放をもたらす暴力に到達して円環を閉じる。また、副題の「斜めから」は「暴力を正面から捉えてはいけない」ことを示唆している。というのも、暴力に直接向き合うことは、本質的に暴力を神秘化するところがあるからだ。そしてこれが著者の基本的前提でもある。つまり、暴力行為を前にしたときの抑えようのない恐怖、そして犠牲者に対する感情移入は、どうしても我々の思考を妨げる罠として機能するのである。感情に動かされて発作的な行動へと駆り立てられずに、概念的に暴力の類型論を展開するには、当然、暴力のもつトラウマ的な衝撃を無視しなければならない。

 それゆえ、「斜めからの視線」という戦略でもって対することが必要なのだ。すなわち、「直接的関与という誘惑」に抵抗し、「静観」し、「観照」的な「批判的分析」の姿勢をとらねばならないのだ。しかし、こうした「散文」的態度は、その冷徹さゆえに、どこかで記述対象である「暴力の恐怖を再生産」する危険がある。アドルノの言葉をもじってジジェクが言うように、暴力の前では――アウシュヴィッツ以後――散文は不可能なのだ。けれども、ジジェクは「言葉がついえるとき音楽が現れる」という警句に耳を傾ける。非言語芸術としての音楽、そして音楽に近いと言えなくもない言語芸術である詩であれば暴力を語り、表現することができるのではないか。各章のタイトルに音楽の速度用語を冠し、ひとつの音楽的作品たろうとする意志に貫かれているのはそのためだろう。

 多分、多くの方も目にしたことのあるのが、第1章で扱われている偽善的感傷としての道徳的憤りと、それに続いて言われる「これを知った今、安穏として過ごしていられるのか。今こそ、行動が必要である」という道徳的な脅しである。例えば、「皆さんがこの段落を読む間に十人の子供が餓死するだろう」とか「この国では六秒に一人、女性がレイプされている」といった、偽の切迫感である。著者が指摘するように、こうした切迫感を煽る命令には、根本的に反理論的・反知性的な姿勢が備わっている。考えている暇はない、我々は行動しなければならない、というわけだ。

 その偽りの切迫感に対抗して、著者が参照するのは、再び革命が起こりそうな気配に接して、1870年にエンゲルスに宛てて書いたマルクスの、「革命家たちはあと二、三年待てないのだろうか。『資本論』はまだ完成していないのに」という手紙である。著者の姿勢もこのマルクスに倣うものである。積極的関与に抵抗し、座して何が起こっているかを冷静に分析せねばならない時があるのだ。ここには根源的に考え、時代と社会の支配的風潮に抵抗する一人の哲学者の姿がある。その姿勢に敬意を抱かずにはいられない。
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