ラカン派マルクス主義者を標榜する哲学者、スラヴォイ・ジジェクによる暴力批判論。といっても、これまでの彼の問題意識を暴力という観点からとらえなおしているといった方がいいかもしれない。
副題にあるとおり、本書は暴力についての「6つの斜めからの省察」がなされている。ジジェクが指弾するのは、まず、暴力とは主観的なものに限らないということだ。このことは、本書の中で繰り返されるブレヒトの「銀行を設立することにくらべれば、銀行強盗なんてかわいいものだ」という言葉の引用に象徴されている。欧米のリベラル資本主義は第三世界の被抑圧者の解放を志している一方で、システムの構造上、同じ相手を収奪しているのだ。要は、マッチポンプということだ。そのほか、他者の他者性を無化しようとする暴力などの指摘は、森岡正博の『
無痛文明論』に通ずるものがある。
いつもの逆説に逆説を重ねていく諧謔に満ちた文章なのだが、なるほど、そうは言ってもこの人が筋金入りのマルクス主義者であるということだけはわかる。しかしこれらは、
ネグリ=ハートによる<帝国>の議論をそれほど突破できていないし、いつものごとく、彼の議論は状況論の枠をなかなか出てこない。いったい何が言いたいのか、途中で素朴な無神論を唱えたりなかなか見えてこないのだが、最終的に議論は、かつてベンヤミンの論じた「神的暴力」に行きつく。神話的暴力のように法にも倫理にも規定されない暴力、それは愛の逆照射した「憎」というのだが、皮肉なこと最後は「愛」に訴えるところも、実はネグリと被ってしまっている。
それにしても、われわれ日本人という非常に微妙な立ち位置の者にとっては、WASPが牛耳る欧米リベラリズムの側にも仲間入りできないだろうし、被抑圧者による侵入者を排除するための反動的な暴力も振るうに値しない。なにはともあれここはひとつ、レーニンのように我々は「一にも二にも勉強さ!」。