「暴力批判論」に絞ってレビューする。
この論文では、暴力は法を作り出すものと維持するものがあるとする。
こうした神話的暴力は批判されるべきであるとした上で、神話的暴力に神的暴力を対峙させる。
まず注意すべき点は、ベンヤミンの言う「法」は、いわゆる具体的な法律(民法とか著作権法とか)ではなくて、もっと漠然とした、おそらく「ルール」とか「規約」とか書いたほうがふさわしいようなものを指していると思われる。
第二に、ベンヤミンの言う「暴力」は、いわゆる具体的な暴力(殴るとか)ではなくて、これもまた抽象的なものを指している。
さて、ベンヤミンは、非暴力的な調停を「もちろん可能だ」(p47)としている。
その例として私人相互の場合を挙げて、心の優しさによる解決の例は枚挙に暇がないとしている。
しかし、確かに心の優しさのみでうまくいく場合もあるが、そうでない場合もある。
現実の私人相互の場合には、うまくいかない場合には裁判などの法の暴力に頼って解決している。
この点を見過ごしていると、さも心が優しくさえあればうまくいくかのような誤解を起こしてしまう(実際ベンヤミンはそうした誤解を起こしている気がする)
最後にベンヤミンは、神話的暴力に神的暴力を対峙させているが、これは納得いかない。
神話的暴力を封じ、神的暴力を野放しにした状態では、自由に殺人が起きてしまうのでは、という問いにベンヤミンはノーと答える。
しかしその理由は「戒律が先んじてあるから」である。
こうした解答では、まず神を信じていないものにはまったく説得力がないし、異なる神を信じるもの同士では結局殺し合いになってしまう。
ベンヤミンの答えが成立するには、唯一絶対の神の存在を無条件の前提にする必要があるが、そのような前提は安易に受け入れられるものではない。
結局のところ、ベンヤミンと同時代の思想家ウェーバーの言うように、政治家は(すなわち当然「法」は)暴力を用いざるを得ない、という地平に落ち着くように思われる。
暴力は不可避であることを認めたうえで、それをどう扱っていくか、それを考える方が重要なように思える。