本書の趣旨は簡単にいうと、「暴力団追放」という綺麗事が、日本の社会を良くするどころか、逆に地獄へと導く恐れがあるという話である。ただし著者(ちなみに父親がヤクザ)は、ヤクザは偉いとか立派だとか言っているわけではない。
警察がいなくなって世の中にヤクザだけが残ると大変なのは当たり前だが、逆にヤクザ組織を撲滅したところで別にクリーンな世の中が実現するわけではなく、より厄介な問題が出てくるだけだというのが著者の結論である。私なりに本書の論点を要約すると、「暴力団追放」という綺麗事に邁進してヤクザ組織の「存在」そのものを非合法化すると、3つの変化が起きると著者は言っている。
(1) ヤクザが収益を上げてきた闇のマーケットが、綺麗サッパリなくなるのではなく、警察の利権になって警察がヤクザ化するということ。これは風俗やパチンコの経営の世界ですでに生じている。許認可権を握って業者と癒着するわけだ。
(2) ヤクザが「地下化」「マフィア化」を進め、実態が把握困難になり、犯罪の手口が巧妙になる。さらには、既に合法的に「表の社会」に入り込んでいて、たとえばベンチャーキャピタルへの出資で儲けたりしており、取り締まりや監視がかえって難しくなっていく。
(3) そして一番ヤバイのが、今までは和製ヤクザが抑え込んでいた外国由来の不良集団(中国マフィアなど)が日本での勢力を拡大する。海外の犯罪集団は、日本のヤクザなどとは犯罪レベルが違っていて、義理人情どころか本当に血も涙もないというのはよく知られた話だ。そうなると治安悪化は取り返しの付かないレベルになることもあり得る。
(1)は見方の問題という気もするが、(2)や(3)はありそうな話である。
著者は、暴対法や暴対条例を厳しく批判しているのだが、その理由は、ヤクザが悪いことをしたら取り締まるのはけっこうだが、悪いことをしそうな奴らが単に集まっているだけで取り締まりの対象とし、組織そのものを殲滅しようというのは不当であるということだ。
これは、結社の存在そのものを認めないのは憲法違反だという理屈もあって、実際、山口組をはじめとするヤクザ組織は暴対法については違憲訴訟を起こしたらしい(もちろん負ける覚悟で)。またそれに加えて、ヤクザというのは何の理由もなくただ犯罪のためだけに生まれてきた組織ではなく、もともとは「差別」や「貧困」といった由来を持った一つの社会階層だし、戦後は外国人の犯罪者集団や左翼過激派にヤクザが睨みをきかせて、警察をサポートしてきたという実績もあるのに、そうした歴史を「なかったこと」にして、ヤクザに「暴力団」という名をつけ、社会の目の敵にするのは不当ではないかということである。(ちなみに今もヤクザのほとんどは被差別部落出身者や在日の人たちだし、山口組というのはもともと港湾労働者の自治組織である。)
とても薄い本だが、さすがヤクザ本を書きまくっている著者だけあって、ヤクザの歴史にも触れ、実際に山口組や会津小鉄の組長・会長の言も引用し、警察の「利権」を告発するなど論点は盛りだくさんだ。
日本人の多くはナイーブな潔癖主義者で、犯罪のような汚いもの「だけ」を上手く取り除くことができると思い込んでいる。そういう人は本書を読んでも「悪いものは悪い。犯罪者を美化するな!」の一点張りで怒り狂うだけだから読まないほうがいいだろう。逆に、人間社会はそんな単純なものではないのだということを理解しようと思える人にとっては、なかなか面白い本だと思う。