その一方、ノーベル賞作家と世界一流の知識人が戦争や平和について語り合う、という企画に、何がしかの権威臭や俗っぽい知の切り売りを懸念する向きがあっても不思議はない。だが、最初の数ページを繰っただけで、その種の思い込みは霧消することになるはずだ。
書簡の往復が始まった1995年は、阪神・淡路大震災とオウム真理教事件で、日本人には忘れがたい年である。それから、最後の書簡が交わされた2002年の秋まで、世界はいったいいくつの悲惨に遭遇し、その後も目にし続けていることだろうか。執筆者たちは、各々の立場で過酷な現実に向かい合い、打開策を求めようとする。
その思考は、ドイツの作家グラスが自国と日本の戦後に思いを馳せ、エルサレム生まれのサイードがパレスチナ問題を考察するというように、それぞれの出自に深く関わっているが、同時にきわめて普遍的・汎世界的なものだ。理不尽に失われていく生命を悼み、帝国主義を痛烈に批判する。現在を絶望的に捉えながらも、未来に向けた希望は決して投げうたない。そして、彼らの言葉は青年のように瑞々(みずみず)しく、熱く輝いている。その力づよさは、理想という言葉にしばしば注がれる、侮蔑的な眼差しさえはねかえしてしまうほどだ。これが真の知性なのか、と多くの読者が目を見張るに違いない。このような書物が、世界に先駆けて日本で出版され得たことを、あえて「奇跡」と呼びたい気持ちにさえ駆られるのである。(大滝浩太郎) --このテキストは、 単行本 版に関連付けられています。
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大江健三郎の本を読む度に思うことは、この人の問題意識や、美学というのは外国人作家以上に外国人的というか、「同じ日本人らしくない」という感想を持ってしまう。この一流の中の一流の表現者のヒョウヒョウとした語り口には、改めて目が点になってしまう思いである。
何だかわけ分からないですね、スイマセン。
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