この原題「YOU ONLY LIVE ONCE」は後に007ジェームス・ボンド・シリーズがその本編の殆どを日本で撮影した一作「007は二度死ぬ=YOU ONLY LIVE TWICE」へと援用され、また邦題「暗黒街の弾痕」は東宝が加山雄三を売り出すため岡本喜八で撮った一本にそのまま流用された。ただどちらもそのタイトル以外に本作との共通点は無い。
一方、若い無実の二人が悲劇の結末へ突き進むというモチーフはスティーブン・スピルバーグの劇場デビュー作「続・激突・カージャック」や、最近ではトーマス・ヤーンの「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」をマイケル・アリアスが長瀬智也主演でリメイクした「ヘブンズ・ドア」に至るまで繰り返し用いられ、フリッツ・ラングの映画としては、あの「メトロポリス」でカリカチュアライズされた恐るべき未来社会とともに一種定型と化してたひとつといえる。
しかし本作の白眉は、スモーク、ライティング、動く影、新聞やテレックスといった当時サイレントからトーキーへの過渡期の字幕にかわるものの使い方、そして大胆な省略が齎すスピーディな物語展開といった後にノワール映画とよばれるジャンルがもつタイトなスタイルのショーケースとしてであり、そのスタイルの確立者、つまり映画史そのものの一人としてラングが見せ付けた天才の芸術そのものにこうして気安く触れられること、そしてどう転んでも「死」と「破滅」以外の結末以外受け付けないことで70分強という短い尺に人生そのものを詰め込んだ究極のドラマを語るナラティブそのものだった。
なかかでもフォンダが刑務所から脱走するシーン、開いた扉の先の光芒が実は何にもつながらないことを平板で奥行きのないショットで暗示する極めて宗教的な映像こそ、おそらく後の作家がどう逆立ちしても真似のできなかった恐るべき映像として末代まで語り継がれるのは当然である。