『アトポス』以降、全く、島田荘司氏からは、遠のいている自分ですが、『占星術』〜『アトポス』までの初期御手洗モノのなかでは、これが一押しです。
作品の中心にそびえ立つ「人喰いの木」のイメージが圧倒的です。トリックよりも犯人よりもこの圧倒的なイメージがいい・・・島田荘司氏の脳内妄想が炸裂しています。
島田氏の「本格ミステリ論」(なによりも幻想的な謎が重要)には、同調すべき点が多いのですが、実作を読むと不満が多い。謎を解体していく過程に必然性が弱い。古くさい言い方をするなら「人間」が描けていない。別に純文学的な「人間」を期待してはいない。ただ、謎が解明された際「犯人」の人間性が浮かび上がってくるのは重要ではないか?とは考えています。ようするに「トリック」と「犯人」が密接に結びついているいるかという点・・・・「こんな大掛かりことを普通は、しませんよ・・・いや、こういう人なら、こういう状況ならやっても不思議ではない。いや、やるのでは!!」と読者に思わせる事が重要ではないかという事。そうした視点で見ると『暗闇坂の人喰いの木 』も不満は多い。ご多分に漏れず、犯人の印象が薄い。御手洗や今後のシリーズで何度もでてくるかの人が大いにキャラ立ちしているのをみるにつけ、なんで犯人の印象が薄いが不思議なくらい。犯人の印象が薄いということは、裏を返せば、ミステリに重要な「意外な犯人」というファクターも弱いということにも繋がる訳です。読者に強烈なイメージがあるからこそ、その人が犯人だったと知ったとき「意外性」が浮かび上がってくる筈で、自分はこうした小説上の構成をミステリで「人間」を描くと考えるからです。多くのファンを敵に回すこと承知でいうなら、パズラーを書く才能が「島田荘司」には欠けているのでは・・・と思いたくもなる。
では、「暗闇坂の人喰いの木」は、つまらないのか?いや、とんでもない。つまらないどころか恐るべき作品なのです。パズラーとしては、不満があっても、『人喰いの木』に翻弄された人々の話とみれば、これほど面白いお話も早々あるものではない。木に食べられたとしか思えない事件の数々、イングランドの巨人の家の謎、そして最後に明かされる恐るべき真実・・・本格ミステリ風「冒険怪奇談」とみるなら、最高の出来でしょう。トリックよりも犯人よりも「人喰いの木」がそびえたつ・・・このイメージ。「人喰いの木」は、「島田荘司」の何かしらを象徴しているのでは・・と思いたくもなる傑作です。