出版社/著者からの内容紹介
たとえばテレビ局。プーチン政権は民放のオーナーを次々と逮捕。釈放の条件として会社の株を手放させ、それを国が買い取るという手法で、すべての局を政権の管理下に置いた。政権から送り込まれた経営者が番組に目を光らせ、ニュースは大本営発表と化した。
そのような状況下で孤軍奮闘、鋭い権力批判をつづけている新聞社がある。その名は「ノーバヤガゼータ(新しい新聞)」。
だが、今のロシアでは最も危険で難しい「不偏不党」「中正公立」を貫くがゆえに、これまで数々のスタッフが犠牲となってきた。白昼街中で射殺された者、放射性物資を密かに飲まされ衰弱の果てに命を落とした者、自宅前で撲殺された者......。
権力と対峙する記者たちの目を通して、「虚構の民主国家」の実態をえぐる、戦慄のルポルタージュ。
内容(「BOOK」データベースより)
出版社からのコメント
投資の対象として持て囃され、2013年には
国民1人あたりのGDPが先進国並みになると見込まれています。
こう聞くと、あたかも民主主義国家に生まれ変わったかのように
思う方が多いかもしれません。
しかし、その実態は......。
絶望的な状況に立ち向かう人々の信念の物語をぜひお読みください!
著者について
専門誌、編集プロダクション勤務を経て、フリーに。
犯罪、ロシアなどをテーマに取材、執筆活動を行なっている。
著書に『スターリン 家族の肖像』(文藝春秋)などがある。
2007年に『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』(新潮社)で第6回新潮ドキュメント賞を受賞。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
1956年横浜市生まれ。立教大学社会学部卒。専門誌、編集プロダクション勤務を経て、フリーに。犯罪、ロシアなどをテーマに取材、執筆活動を行なっている。2007年に『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』(新潮社)で第6回新潮ドキュメント賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
About this Title
クレムリンや赤の広場からほど近いモスクワの中心部に、「チーストイ・プルディ」という名の地下鉄駅がある。
プラットホームから、モスクワ名物の長いエスカレーターを上って地上に出ると、市電の軌道の向こう側に、大勢の人が人待ち顔でたむろする広場が現れ、その先に並木道が続いているのが見える。並木道を少し歩くと、きれいな湧水をたたえた池につきあたる。
駅名の「チーストイ・プルディ」とは、ロシア語で「澄んだ泉」という意味である。この池にちなんだ命名に違いない。
夏ともなれば、木漏れ日が水面に映えて、キラキラと美しい陰影を作り出すこの池のほとりは、「モスクビッチ(モスクワっ子)」たちのかっこうの憩いの場だ。
「ノーバヤガゼータ」の社屋は、ここから歩いて2、3分ほどの閑静な場所にある。おそらく20世紀初頭に、出版所として建てられたオフィスを現代風に改築したもので、5階建ての2階と3階部分を借り受けているのである。経営部門は2階、編集局は3階にある。
私がこの新聞社に初めて足を踏み入れたのは、2008年6月のことである。新聞社というより、出版社といった方がいいこじんまりしたたたずまいだが、編集局の内部は意外にモダンで快適な空間で、日本の報道機関にありがちな殺風景さはそこにはなかった。
まず目につくのは、廊下の壁にいくつも飾られた写真パネルである。ソ連時代、政府の迫害に屈せず、反体制を貫いた原子物理学者アンドレイ・サハロフとその夫人のエレーナ・ボンネル、バレリーナのマイヤ・プリセツカヤなど、有名人のモノクロ写真が並んでいるかと思えば、世界各地の自然の奇観を大胆に切り取った原色の風景写真もある。
聞けば、これらは、ユーリー・ロストという著名な写真家の作品であるという。
編集室も、日本のように大部屋ではなく、所属によって、3、4人ずつの小部屋に分かれ、評論員には個室が与えられている。
ほとんどの部屋には、外に向かって大きく開け放たれた窓がある。記者たちは、パソコンに向かう仕事に疲れると、窓の外の緑に目をやってつかの間の休息をとるのである。
廊下のつきあたりは、大きなテーブルと椅子が並べられた円形のオープンスペースになっている。この壁にも3葉の写真が飾られているが、それは、ユーリー・ロストの作品ではない。
イーゴリ・ドムニコフとユーリー・シュチェコーチヒン、そして、アンナ・ポリトコフスカヤ。非業の死を遂げた同社のジャーナリスト3名の遺影である(後に、新たに3名の遺影が加わることになる)。
彼らの柔和な笑顔が見下ろすこのオープンスペースで毎日、編集会議が開かれ、企画が練られる。
「ノーバヤガゼータ」の創刊は1993年4月である。
日本でいえば、朝日や読売などになぞらえられるロシアの大手紙「コムソモーリスカヤプラウダ」の記者50人余りが、同紙のタブロイド化に反対して社を去り、今までにない新しい理想的な新聞を作るという意気込みで、その名も「ノーバヤガゼータ(新しい新聞)」をスタートさせた。
社員数126名、部数27万部あまりの小さな新聞である。社員の年齢層は18歳から75歳までと幅広く、平均年齢は40歳である。大学で学びながら正社員として働いている若い記者もいれば、勤めていた新聞が廃刊になったり、報道統制のために書きたいことが書けなくなって移籍してきた著名なジャーナリストもいる。
現在のロシアは建前上は、西側先進諸国と同様、民主主義国である。憲法は、思想と言論の自由、そしてメディアの報道の自由を保障し、検閲を禁止している。それにもかかわらず、今のロシアに報道の自由はほとんどない。いったいどうしてなのか。
政権のメディア支配は、エリツィン時代末期から始まってはいたが、2000年プーチンが大統領の座について以降、一層強化された。プーチンは、反政権色の濃いメディアの経営者や大株主に圧力をかけて経営権の放棄や株の売却を強制し、代わりに、政府や政府系企業が株を独占するというやり方で、着々と言論統制の布石を打った。こうした搦め手からの手法であれば、憲法に抵触することはないのである。
その結果、テレビはもちろん、ほとんどのメディアで、表立った政権批判、権力批判はタブーになってしまったのだ。
そうした中で気を吐いているのが、この「ノーバヤガゼータ」である。いかなる時も一般市民、あるいは弱者の立場に立ち、「普遍不党」「中立公正」を貫き、鋭い権力批判を厭わない。この創立時のモットーは今も不変だ。
しかし、一見当たり前のこの原理原則は、今よりもはるかに報道の自由があったエリツィン時代前期においてさえ、他のメディアにとっては、守るに足るものとは思われていなかったようだ。それは、「ノーバヤガゼータ」の創刊間もない93年10月3日に起こったモスクワ騒乱事件の報道が如実に物語っている。
「波」2011年1月号
福田ますみ
70年以上に及ぶ共産党独裁から脱して、私たちと同じ体制を選びとったはずのロシア。しかし今、そのロシアから民主主義が急速に失われつつある。民主主義の根幹をなす報道の自由がもはや存在しないからだ。
2000年に大統領の座に就いたプーチンは、反政権色の濃いメディアの経営者や大株主に圧力をかけて経営権の放棄や株の売却を強要し、代わりに、政府や政府系企業が株を独占するという手口で、着々と報道統制への布石を打った。
その結果、テレビは言うに及ばずほとんどのメディアで、表立った政権批判、権力批判はタブーになってしまった。
権力に盾ついたらどうなるか。それは、モスクワに本拠を置く、ロシアで唯一の独立系全国紙「ノーバヤガゼータ(新しい新聞、の意)」の悲劇が如実に物語っている。
同紙は社員数126名、発行部数27万部あまりの小さな新聞だが、政権の圧力に屈することなく、「中立公正」「不偏不党」を貫き、鋭い政権批判や徹底した調査報道を行ってきた。
だが、そうした独立不羈の姿勢ゆえに、同紙は多大な人的犠牲を払わなければならなかったのである。
記者たちが編集会議に集う同紙の会議室には、非業の死を遂げたスタッフ6名の遺影が飾られている。
地方の州副知事らの汚職を追及していた男性記者は、ハンマーで頭を強打されて死亡し、国の上層部が関与する大規模な密輸事件を調査していた副編集長は、放射性の毒物によると思われる奇怪な死を遂げた。
そして、チェチェン戦争でのロシア軍の戦争犯罪を暴いて注目された女性記者アンナ・ポリトコフスカヤは、白昼、モスクワ中心部の自宅アパートで射殺された。
旧ソ連時代、反体制派に加えられた弾圧は苛烈なものだった。投獄され、精神病院に幽閉され、国内流刑や国外追放の憂き目にあった。とはいえ、スターリン独裁下は別として、その後のフルシチョフ時代以降、処刑された者はいない。
ところが現代の体制批判者は、裁判によらず、白昼の街頭でいきなり射殺されるのである。ソ連時代よりひどい事態が進行しているのだ。
モスクワへ飛び、「ノーバヤガゼータ」のジャーナリストたちに取材を始めた私の目の前でも、事件が起きた。
同紙のオフィスで偶然出会ったチェチェン人は、権力による人権蹂躙の被害者だった。彼は、自分の身に降りかかったできごとを同紙上で告発していた。関心を持った私が彼に話を聞こうと次にモスクワを訪れた時、このチェチェン人は忽然と消えていたのである。
私は本書で、このような消された人々ばかりを追ったのではない。相次ぐ同僚の悲劇にショックを受けつつも、言論の自由を守るために、今も権力とのぎりぎりの攻防を繰り広げる「ノーバヤガゼータ」の現役記者たちのドラマにも大きくページを割いた。
その一人、若い女性記者のエレーナ・ミラシナは、凄惨な人質事件や自爆テロ、要人暗殺が頻発する"火薬庫"、北カフカス(コーカサス)で、治安警察の尾行や殺害の脅迫を受け続けた。挙句、実際に襲撃されかけるという恐ろしい体験をしたが、決して彼女は取材をやめようとはしない。
同紙の契約記者、セルゲイ・カーネフは、本来はテレビジャーナリストだが、政権の報道統制のために自由を失ったテレビ局に一人異議申し立てをしてクビになってしまった。
私は、ロシアの未熟でゆがんだ体制が引き起こす暗部を描いた。読者は、この国の救いようのない状況に唖然とすると思う。
しかし、このような国にも、いや、このような国だからこそ、自分の命を賭して言論の自由を守ろうとする人々がいることを心に留めてもらいたいのである。
「もし私が殺されても、『ノーバヤ』の同僚たちがそのあとを引き継ぐでしょう」
エレーナ・ミラシナが私に語った言葉が忘れられない。