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34 人中、26人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
苦しみの鏤刻,
By クロアシ (東京都) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 暗夜行路 (新潮文庫) (文庫)
『暗夜行路』は色々な要素が複雑に絡まり合った巨大な作品ですが、「赦し」は本作における主要なモティーフの一つだと思いました。自我の絶対的な肯定を前提にしているだけあって「赦す」ことの倫理学的妥当性が自明のものとして問われることはありませんが、そのような検討の必要性をまったく感じさせないあたりも志賀文学の強さなのかもしれません。もっとも赦しの実現によって作品が閉じられるわけではなく、むしろ未解決のまま未来に託されていくことで、この問題が安易に解決され得ない生涯にわたって追い続けるべきものであることが示されるのです。一語一語苦しみ悶えながら刻みつけられたであろうことが明白な文章に、私はある種の畏敬の念を覚えずにはいられませんでした。最初に読み始めたのは社会での複雑な人間関係に悩んでいた二十代はじめで、辛くてとても読み通せませんでした。恥ずかしながら三十も近くなってようやく読了したのですが、感慨は複雑で、人間であること、人間であり続けることの言葉にならない厳しさに圧倒されて、まとまった感想を持つことができないでいます。 志賀の作品は「私小説」「心境小説」などといわれる我が国特有のジャンルに分類されます。この系統の作品は色々形を変えて書き継がれていますが、残念ながら質は低下するばかりで、現在では先行作品を読まずに誰でも書ける薄っぺらなカラオケ文学の台頭を許している状態です。私小説の衰退は純粋に作家の才能に帰すべき問題ですが、残念ながらジャンルそのものへの批判に繋がることも多く、本作のような古典的名作を必要以上に敬遠させる要因にもなっています。 大江健三郎や谷崎潤一郎の作品のように物語を追求した文学は確かに面白い。でも、虚飾を排し人間の存在をそのまま鏤刻したような文学も素晴らしいものです。若い人たちも食わず嫌いせずに、こうした作品の本質的な素晴らしさを知って頂きたいと思います。
5 人中、4人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 2.0
時任謙作、一人まかり通る,
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レビュー対象商品: 暗夜行路 (新潮文庫) (文庫)
若い頃、この作品は、日本文学のベストワンにあげてもいいぐらいの傑作だと思っていた。しかし、いつのころからは分からないが、だんだんこの作品が嫌いになり、今では、顔を見るのも嫌だというぐらいの嫌悪感を抱いている。これは、要するに、『時任謙作、一人まかり通る』という作品なのだ。つまり、時任謙作が桃太郎で、あとの登場人物は、イヌ、サル、キジ、その他大勢なのだ。この作品ほど、主人公以外の人間の視点でものを見るという姿勢を放棄した作品は、ないのではないか。その独善性にはあきれるばかりだ。ただ、最初に読んだときに衝撃を受けた『ああ、稲の緑が煮えている』という文章は、今でも、強烈に頭に刻み込まれている。この件に関連して、人から聞いたこういうエピソードも印象に残っている。志賀直哉の息子が家庭教師に習っていたとき、その息子が、作文か何かの練習で、『ウサギの耳は赤い』と書いた。すると、その家庭教師が、『赤いは、おかしいでしょう、ウサギの耳は白いでしょう』と訂正した。このことを漏れ聞いた志賀直哉は、激怒し、ただちにこの家庭教師をクビにしたという。この気持ちは分かる。息子は、ウサギの耳の赤い毛細血管に目を奪われたのだ。そういう子供独自の感受性をつぶすような奴に教えられては、独自の感受性は育たないということであろう。確かに、『ああ、稲の緑が煮えている』という文章は、独自の感受性をもった人間でなければ、生み出せないものであろう。『稲の緑が燃えている』とか『稲の緑が映えている』とか『稲の緑が光っている』というのは、普通の人間にも生み出せるだろうが、鍋料理じゃあるまいし、『稲の緑が煮えている』という文章は、普通の人間には考えつかない。しかし、だからと言って、独自の感受性を身につけるのと引き換えに、他人の視点でものを見るという姿勢を失うのも困ったものだ。感受性を伸ばすというのは、必ずしもいいことばかりではないと思い知った。
8 人中、6人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 3.0
何が何でも自我肯定,
By 魏 (長野県) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 暗夜行路 (新潮文庫) (文庫)
志賀直哉という人は「スーパーエゴイスト」だとどこかの学者が言っていました。実際「それは僕の知った事ではありません」とか「あなたはそれでいいよ。然しこっちまで一緒にそんな気になるのは御免だ」といった風に、<自分さえ良ければいい>という感じが少なからずします。主人公が他人の歪みに怒ったりするところもあちこちある、小説全体は何というか大体一本槍形式でストーリーの変化はやや乏しい、そんな風に言うとろくな小説じゃないように思われるけど、「罪を罪のままに押し通している女の心の張り、その方に彼は遥かに同感が起こるのであった」とか、「心で貧乏する、これほど惨めな事があろうかと彼は考えた」といった風ないわゆる「自我肯定」はそれなりに良さがあります。それに、作者も全然自己批判をしないわけではありません。428Pを見ればわかります。 そして、自我肯定とともに、自然に対する一種謙虚とも思える感性が光っています。 おそらくこの作者は、ストーリー展開などより詩人的な文章の洗練にその本領があります。大山の風物の描写はなかなか凄いです。しかも、漱石ゆずりかと思われる、人間本位文明に対する批判も、何か先駆的なところがあります。 私小説という形式は、自信のある人間が適しているかもしれません。ウジウジ悩む人間の私小説は、暗くて読む気がしなくなるだろうというものです。
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