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時間論 (ちくま学芸文庫)
 
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時間論 (ちくま学芸文庫) [文庫]

中島 義道
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商品の説明

内容(「BOOK」データベースより)

時間とは、“いま”が次々に姿を現しては過去へと消えていく流れである―こうした「一般常識」は、西洋哲学でも支配的だった。その「現在中心主義」というべき時間像においては、非日常的な長さや幅のない極小的“いま”が前提にされている。しかし、その前提自体が誤解なのだ。この誤解を解いていくと、むしろ、想起の対象としての過去との対比で、初めて“いま”が成立するという「過去中心主義」が迫り出してくる。人間を呪縛してきた「現在中心主義」に疑義をとなえ、時間とは何なのかを見つめなおす、新しい時間論。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

中島 義道
1946年、福島県生まれ。1977年、東京大学大学院修士課程修了。1983年、ウィーン大学哲学科修了。哲学博士。現在、電気通信大学教授。専攻は、時間論、自我論、コミュニケーション論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

登録情報

  • 文庫: 228ページ
  • 出版社: 筑摩書房 (2002/02)
  • ISBN-10: 4480086838
  • ISBN-13: 978-4480086839
  • 発売日: 2002/02
  • 商品の寸法: 14.8 x 10.4 x 1.4 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.7  レビューをすべて見る (3件のカスタマーレビュー)
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By Tod
形式:文庫
 中島哲学の背骨といえば何といっても時間論である。中島自我論も中島自由論も、中島時間論なくしては語れない。本書は「過去中心主義」をキーワードに、過去中心主義者を自認する中島がその時間論を総括した内容になっている。
 中島の時間論は(というより中島哲学全体が)極めて経験に忠実であり、これは嘘が嫌いな中島の性向によるものであろう。過去中心主義というキーワードも、われわれは過去しか知らないという中島の実感もしくは信念に基づくものであるに違いない。
 なるほどわれわれは過去しか知らない。しかし無色透明な過去などない。過去には必ず何らかの感情がまとわりついている。というより感情が、われわれに記憶すなわち過去をもたらす。その感情とは例えば後悔であったり責任追及であったりするだろう。
 だが後悔や責任追及をもたらすのは未来ではないだろうか。未来に行き詰ったときに後悔が、罰したいという欲望に対して責任追及が頭をもたげる。過去における自由という虚構もそこから生み出される。その点において過去とは未来によって逆照射される制作物に過ぎないのではないか。
 未来はない、と中島は言う。だがその未来とは、われわれが認識可能な時間における未来であろう。われわれがその中を生きているところの時間においては、すなわち時間概念のレベルを一段繰り上げれば、未来中心主義の可能性も開けてくるのではあるまいか。その可能性については中島自身が後著『「死」を哲学する』において言及している。
『時間を哲学する』で語られていた内容とほとんど変わらない本書ではあるが、精緻な議論には哲学者中島の真摯な態度が感じられる。エッセイスト中島ではない正真正銘の哲学者中島を再確認できる好著である。
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今とは? 2004/6/21
形式:文庫
 「今、勉強している」というときの「今」とは一体いつのことか?「今」の「い」の時か?「い」と発声しかけた時か?いずれの答えにも納得しがたいものがある。しかし、「今」も時間の構成要素たる限り、物理学の時間軸上に一定の位置を占めるはずだ、そう誰もが考える。中島義道は、この極めて常識的な考え方に異議を差し挟む。

 「今、勉強している」という時の「今」とは幅を持っている。例えば、家に帰ってきてからの一時間と言う幅を持つこともある。同様に、「今まで寝ていた」と言う時の今の幅は数時間に及ぶ。つまり、「今」とは、その日常的な使用法から考察する限り、決して物理学上の一点に対応するものではなく、私達の日常生活における意味的な区分にその根源を持つのだ。では、「今」とは瞬間ではないではないか、その通りである。もし貴方がこの結論に釈然としないならば(納得できない方がもちろん重要である)、すでに貴方は「時間」という哲学上もっとも難解な問題の一つに踏み込んだことになる。貴方は、中島義道の挑戦にどう答えるだろうか。

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28 人中、17人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
形式:文庫
ニュートンの古典物理学や、アインシュタインの相対性理論などを
面白がって読んできた経験からすると、ずいぶん趣の異なる
時間論である。
「時間を認識できるのは責任主体としての人格を有するから」で
「身体を有しているから特定の時間、空間を決定できる」など
主観としての時間認識を問うている。
そう、この本は時間論ではなく
時間認識論だったのだ。
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