本書を読むと、現象学が登場するまでの19世紀の後半から20世紀初頭の哲学史が良く分かる。現象学関係の本は数多ある中で、案外このように描かれている解説書はあまり無いのではないか。興味深かった。それと、フッサールの現象学と「存在と時間」の繋がりが、必ずしも構造的というか方法論的に明快に説明した解説書も払底だったが、本書を読むと難しいが良く分かる。「志向性」「範疇的直観」「アプリオリの意味」に現象学の「発見」の意義を認め詳述する著者の力量にはただただ感服。眼目となる「範疇的直観」に示されるIdeation(idea視)に関する説明は興味深い。「新しい対象性には・・・任意の個別体の中の或る基底が必要であり、・・・それ自身としては志向されていない範疇的基盤」というところにイデア化していくという意味がよく描かれている。別言すればIdeationとは「有るものをその対象性において見させること」なのであり、それが志向性の作用の中で見出されることなのだと。現象学の方法を、「判断中止」「還元」の意味を十全に語り、現象学の姿を大胆且つ丁寧に慎重に語っていく様は捨てがたく再読を繰り返したいところだ。しかし、やはり違和感があるのは、この「還元」のあと、体験の個別性を度外視し、取り出されるWasgehalt(内実)について検討へ向かってしまう現象学のあり方だ。同じく、これに違和を唱える著者は、しかし、「その存在の意味」を問うことが無い、として、大きくハンドルをきることになるのだが、しかし、その方向にも大変な違和感が残ることも事実だ。有への問い(存在一般への問い)とは何なのか。フッサールとハイデガー双方が相反発せざるを得なかったそのこと自体に、20世紀以降の哲学の意味を考えさせられるものが有るように思える。再読すべし。後半は「存在と時間」の草稿のようなもの。一般的な関心は前半に集中すると思う。