10年の歳月をかけた短歌史への著者の真摯な取組みに脱帽。
あとがきに、本書の動機を
昭和短歌の歩みをあるままに描きたい
と。
そのために、
昭和の暮らしをていねいに詠み、時代を真摯に担った・・
歌人たちの歌とその真摯を、時代背景を重ねながら
歌人の内面の軌跡として提示する
という。
これは、
戦後に書かれた短歌史への反証であり果敢な挑戦状であり、
また、戦争の時代を誠実に担った人々への「六十年後の鎮魂の書」(著者いわく)でもです。
戦後の短歌史は占領期文化の尺度
(占領期文化は真摯で、戦争期は時代便乗という)で描かれ、
短歌作品のありのままの姿が失われている・・
その歪みを修正して短歌史を自然な形に、
組み立て直すという課題を歌人から託されている
と取組みの姿勢を語る。
また、さらに
短歌史の記述には正解がない
<あるがまま>の歴史を目指すことが大切・・
私と異なる見解がでてきて・・
史的風景を積み重ねて・・
結果的に短歌と短歌史を豊かにする
と、自己の解釈の限界と課題も示しています。
この短歌史を
戦前戦後の亀裂をうめるまなざしで読み解く昭和史として、
その時代に著者とともにタイムスリップして読みました。
この著者の取組み姿勢は、
膨大な資料に当たる書誌学的知的正直と歌人への共感にあり、
あらゆる学問のあり方にも通ずるのではないでしょうか。