静謐な中に慈しみを感じさせる画面作りが卓越しています。
タルコフスキーに学んだのでしょうか、生き物や火をじっと見つめるまなざしが含意に満ちています。
また仏像は「鏡」に出てくるダビンチの肖像画を思い起こさせます。
この映画の魅力は、画面の隅々にまでしみこんでいる仏の慈悲のようなまなざしにあります。
人間は愚かしい、それはいくら説き聞かせても自分で経験して悟らなければ分からないものです。
山奥のお堂で育った子供は殺生をし、欲望に身を任せ、人を殺します。
それでも仏の慈悲は、愚かしい人間を包み込んで見守ってくれます。
老僧もそのすべてを受け入れます。
ここでの仏教は人々から忘れ去られ、本当に必要とする人をひっそりと待っています。
湖の中のお堂、ほとりに立つ石仏、仁王が彫られた門、お堂や舟を飾る五色の文様、お堂に安置された石仏。
ひとつひとつが<必要な時にいらっしゃい>と言っているようです。
映像的に残念なのは秋の紅葉がさえないこと。
冬は凍結するような厳しい風土故か、春の新緑の鮮やかさ、秋の紅葉の鮮やかさに欠けるのは残念なことです。
それと、青年期までの主人公の印象と壮年期との印象がちょっと違いすぎるところ。
さらに壮年期の印象は最後の中年期の印象とも違いすぎるので、いささか連続性が欠けてしまうところが難点です。
しかしながら一貫して老僧の存在感の強さはすばらしい物があります。
常に変わらぬまなざしで子供を見守る目が印象的です。
また、二人で正体もなく眠りこけていた舟を鶏を飛ばしてたぐり寄せ、猫をかわいがり、猫のしっぽで般若心経を書く、などさりげないユーモアも見逃せません。
舟で自分を火葬に処する様子は即身成仏を感じさせます。
この映画を見て、書を解し、仏像の慈しみを感じられる東洋文化のすばらしさをしみじみ感じます。
ただ残念ながら、最後の歌の挿入は私にはちょっと分かりませんでした。
韓国的にはたぶん意味があるのだと思いますが、それまでの雰囲気とちょっと違和感を感じました。