東日本大震災から半年経った。災害直後のショッキングな映像とそれ以降の復興キャンペーンの報道洪水のなかで、感情ばかり消費されているような疲労感が今の私にある。一種の虚脱感と思考停止状態から、本書は正気を取り戻させてくれる。あの災害の意味をじっくり考える視点を提供してくれる。
著者の語り口は激情を抑えてあくまで静かに自分と対話するように進行していく。本書を読みながら、私は柳田国男の「清光館哀史」を思い出した。柳田国男は東北の旅の一夜を寒漁村の小さな旅館に泊まる。十数年後再び訪れたとき、旅館は消えて更地になっていた。村人に尋ねると、幾年か前に火災に遭ったという。柳田はこのとき人の世の本質を了解し満腔の感慨を抱く。言葉にすれば、「無常観」とも「もののあわれ」ともなるだろう。
今回の震災ではいくつもの町が町ごと消滅し、2万人もの命が奪われた。それはまだ生々しく現在形のままでとうてい整理のつくものではない。しかし、古来、日本列島は災害の多い土地である。規模の大小はあれ無数の災害を繰り返して我々の中には「無常」の世界観が息づいている。そこには鎮魂も希望も含まれているはずだ。
鷲尾和彦氏のモノクロの写真が素晴らしい。津波に遭った廃墟の土地とそこですでに始まっている命の営みが、千年単位の時間のなかに切り取られる。
福島第一原発事故に対する著者の態度は明確である。脱原発というよりも反原発である。物理学徒としての知識がそれを裏づける。我々はパンドラの箱を開けてしまった。だが、それは甘受すべき無常ではない。我々の意思によって避けえた災害である。事故が起きる前からの著者の一貫した主張は強い説得力を持つ。