高評価とダメダメ評価が混在しているが、私的には中間か・・・。尚、40代の私はコンビ解消前の70年代からの藤子ファンだ。
私的に大長編ドラえもんはこの鉄人兵団で終わっている。以降は見るに耐えないからだ。7年もやってネタが尽きたから仕方がないが、これ以降の大長編ドラえもんは完全な「良い子向けの人畜無害」に成り下がる。
鉄人兵団までのドラえもんには、藤子独特の「リアルな毒」がある。
「愛」結構。「友情」結構。「感動」結構。しかし、この「藤子の毒」がなくてはドラえもんの魅力は半減する。
まず、この「鉄人兵団」までは概ね敵がリアルだ。この点で「大魔境」と「魔界大冒険」はかなり失敗作だが、1.2.4.6.7作は良い。「恐竜ハンター」は、実際にアフリカにもいそうな犯罪組織だし、「ガルタイト工業」もいかにもありそうなブラック企業だ。「アトランティスの鬼岩城」の大陸間弾道ミサイル自動報復システムは、冷戦当時には冷や汗が出るほどリアルすぎる敵だった。ギルモア将軍もPCIAも良かった。東欧革命を髣髴とさせる。
そして何といっても初期の敵は、のびた達を本気で「殺し」にくるのが良い。故に、ドラえもんとのびた達も死に物狂いで戦う。だからこそ初期の大長編ドラえもんは40代の今になっても読み応えがある。
のびた達も「やるか、やられるか」という状況だけに、初期作をよく読むとかなり「やり過ぎて」いる。そこも「リアル」で良いのだ。
例えば「宇宙開拓史」の最終決戦。ドラえもんが空気砲で撃ち落しているのは「有人機」だ。作中はっきりと書かれていないが、ここでドラえもんはかなりの高い確率で「殺人」を犯している。有人機を打ち落として死人が出ないはずがない。
同じ光景は、「宇宙小戦争」でもある。ここでは5人全員が「有人機」と戦っている。中盤出てくる「無人戦闘艇」ではなく。のびた達は小人相手に完全イケイケな感じだが、相手は「ピリカ人」、人間だ。ここでもはっきりと描写がないが、5人全員が「人を死なせた」可能性が高い。
この鉄人兵団でも、ロボットは「ロボット生命体」と描かれている。のびた達は何百何千のロボット兵を「殺す」。当然だ。「やらなきゃ、やられる」のだから。小説版には、はっきりと少年達が「死の恐怖」と戦うさまがリアルに書かれていて素晴らしい。こういう「戦い」を逃げることなく書いているから初期の大長編は傑作なのだ。
こういう点を踏まえたとき、やはりこの鉄人兵団リメイクは肝心の要点を「外して」いる。絵が綺麗なら良いわけではない。
まず第一。しずちゃんがリルルに首を絞められて殺されかけるシーンがない。これは大事なシーンだ。小説版ではしっかりとしずちゃんが「死を覚悟する」描写がある。こういうのをカットしたら、ただの「感動を売りにした人畜無害」アニメだ。こういうのを逃げてほしくない。
第二に、自宅でロボット兵に襲われたしずちゃんを間一髪のびたが救った後。
原作では、のびたは泣きながら抱きついてくる彼女を、真っ赤になりつつもしっかりと抱きしめてあげるこれも大事なシーンだ。小説版のここでのしずちゃんの心理描写は秀逸だ。さらに小説では、ラストのクライマックスでしずちゃんがその時を思い出しながらのびたの名前を口にするシーンがある。(原作にはない)
この大事なシーンをこのリメイクはダメダメにしている。抱きついてきたしずちゃんにのびたがパニックを起こしてしまい、何もしてあげられていない。
大長編ドラえもん原作では、短編では書ききれない「二人の無意識の絆」というものがポイントポイントで強調されるので、ここをスルーした製作陣は「原作を何もわかっていない」ことになる。
最後。やはりオリジナルキャラは極めて余計だった。これは過去のリメイク全てに共通するが。
ラストシーン。あれはしずちゃんとリルル二人の少女が起こす「奇跡」、あの一点に集約されねばならない。それを余計なオリキャラで感情移入先を無意味に分散させてしまった。
なおしずちゃんの涙は「海底鬼岩城」のラストでも地球を救う奇跡を起こしており、あれも「しずちゃんとバギー」だけに集約されているから感動するのだ。