「映画で学ぶ英語」とか「映画の英語セリフ」といった類いの本は数多ありますが、スペイン語圏の映画のセリフで言語を学ぶという本は、少なくとも私はこれまで聞いたことがありません。以前からそうした書を期待していたので迷わず購入しました。
しかしこれは私の予想していた内容の本ではありませんでした。
私が購入前に考えていたのは、映画に使われているような日常口語表現の類いを集めて紹介するというものでした。学校ではなかなか教えてくれそうもないスペイン語表現--英語でいうなら例えば「No way!(まさか!)」とか「Now you're talking!(そうこなくちゃ!)」みたいなくだけた表現--をいくつか身につけられるのでは、と思ったのです。
しかし私の予想ははずれました。(といっても後述するように期待はずれと落胆しているわけではありません。)
33の各映画からひとつずつ抜き出して取り上げられているのは、口語表現や日常会話表現というよりも、その映画のツボを表すような比較的長ゼリフばかりです。ですからそれを丸暗記してもスペイン語圏で自分がそれをそのまま使う機会はおそらくまず訪れないであろう表現ばかりです。
なかなか歯ごたえのあるスペイン語文が多く、leismoを使った表現や、アルゼンチンの親称二人称vosを含んだ表現、verなどの動詞の後でcomoが接続詞としてqueとほぼ同様の意味で使われる表現、などなど、スペイン語中級以上の読者でなければ理解が至らない文章も含まれています。
それはそれで、私は大いに勉強になったと感じます。
ですがそれ以上に私を大いに満足させてくれたのは、この本がすぐれたスペイン語映画論の本であったという点です。
『
ルシアとSEX ヘア無修正版』のキーワードは「穴」であると著者は看破します。そしてこの映画の示す穴は「そこにはまると抜け出せなくなるものであると同時に、向こう側に抜け出すことによって人生をやり直せるかもしれないとの希望を抱かせる通過儀礼のトンネルのようなものである」と綴ります。
サイコサスペンス『
テシス 次に私が殺される』やSF『
オープン・ユア・アイズ』そしてゴシック・ホラー『
アザーズ』を撮ってきたアメナーバル監督が感動のヒューマンドラマ『
海を飛ぶ夢』を撮ったことの意味について記した箇所も膝を打ちながら読みました。
特異な舞台設定のエンターテインメントを好む映像作家だと思っていたアメナーバルが尊厳死をめぐる実話に基づいて映画を作ったことに私も意外な思いを抱いたものですが、著者はアメナーバル監督が一貫して扱ってきたのが「死と生の曖昧な境や、死の影に包み込まれた生のあり方」であると総括してみせます。お見事。
著者は東京外国語大学大学院の准教授で、専門はスペイン語圏の文化と文学という人物。
本書が扱っている映画は33作品。まだまだスペイン語圏には面白い映画が数多くありますし、類書が全くないのですから、ぜひとも著者には続編を期待したいところです。