資料の徹底的な博捜と、関係者への綿密な取材によって、「ショートショートの第一人者」星新一の実像に迫った力作。小学校時代から調査するという念の入れようで (星は長い作文が書けなかったらしい)、飄々・恬淡・奇矯といった表面的なイメージの奥に隠された人気作家の焦燥と苦悩を炙り出している。
星新一の家族関係や特殊な境遇は『人民は弱し 官吏は強し』やエッセイなどで彼自身がしばしば語ってきたが、その中で明かされなかった、異母兄との関係や星製薬の内情などの「秘密」を本書は容赦なく暴いている。
そして「星製薬の御曹司」という肩書きは良きにつけ悪きにつけ、星新一の文筆活動に大きな影響を与えたことが良く分かった。星製薬を潰したという負い目、社長時代に多くの人間に裏切られたことから生じた人間不信が、星の性格に暗い影を落とし、感情表現を省いた独特のクールな文体を生み出した(この点は星自身もある程度、認めていたが)。
逆に、固有名詞を排した無個性の登場人物を描くことで知られる星新一が、実は自分をモデルとした人物を作中に登場させていた、という指摘は新鮮である。星製薬社長としての過去を振り払おうとすればするほど、その影は執拗にまとわりついてくる。そんな皮肉に星新一本人も気がついていたのだろうか。
一方で、彼の毛並みの良さが、キワモノ扱いされていた黎明期の日本SFの地位向上に役立ったという。
当時におけるSFの社会的評価を考える上で貴重な事実発掘と言える。
また戦後日本のSFの創始者である星新一を通じて、日本SF発展史を語っているところも興味深い。従来、この種の「日本SF史」は専ら、黎明期を支えた当事者たちの回顧録によって占められていたので、第三者が複数関係者の証言を突き合わせて客観的に分析した点には大きな意義がある。
しかし何と言っても、本書の白眉は、星新一に対する社会的評価の変化を具体的に明らかにした部分であろう。今では信じられないことだが、デビュー当時の星新一は安部公房と並び称される文壇の新星であった。文壇の長老たちからは「人物が描けていない」などの酷評を受けたものの、若い世代からは、無駄を削ぎ落とした都会的で洗練された文体と核心を衝く卓抜な文明批評が斬新なものとして受け止められた。人間関係の描写に終始する泥臭い旧来の日本文学とは一線を画した、「科学の時代」に相応しい新しい文学として認識されたのである。そして星自身も当初はショートショート専門の作家で終わるつもりは毛頭なかった。
ところがSFの大衆化、量産に伴うマンネリ化(ただし量産は星本人の本意ではなく、ショートショート依頼の殺到と、原稿料の安さが原因)、読者層の低年齢化に伴い、文壇での星新一の評価は下落する。時代の寵児は一転して、文学賞から無縁の存在になった。SF界においてすら「天皇」と祭り上げられつつも、中心的存在ではなくなっていく。酷使された星はアイディアの枯渇に悩まされるが、「ショートショートの第一人者」としての地位を守るため、「ショートショート1001編」を目指して、それでも書き続ける。だが、ようやく達成した空前絶後の偉業も、文壇的には全く評価されなかった。
「親切第一」というサービス精神ゆえに「ショートショートの第一人者」という肩書きに生涯縛られ続けた点に、筆者は手塚治虫との共通点を指摘する。しかし本書を読む限り、手塚との共通点はそれだけに止まらない。ジャンル創始者としての自負、「子供相手の商売」と見下されることへの不満と反発、神格化されつつも人気面で後輩に抜かれていくことへの焦り(星の場合は小松左京・筒井康隆、手塚の場合は石ノ森章太郎・水木しげるなど)・・・筒井への嫉妬、晩年になっても「どうして自分は直木賞をもらえないのか」と愚痴をこぼした、「文学的評価よりも売り上げ」と自己を卑下した、などのエピソードには意外の観があったが、偉大な功績に比して報われるところが少なかった作家であった証左とも言えよう。
私の父はかつて、星新一にサインをもらったことがある。
そのサインの言葉は「想像力を失えば、思想の自由も無意味となる」であった。
本書では「SFなんて文学じゃない」と言う編集者に対して星新一が、
「文学が想像力を否定するものとは知らなかった」と反駁するエピソードが紹介されているが(370頁)、
こうした「純文学」の側からの無理解に、まさしく己の想像力ひとつを武器に立ち向かっていった作家が、星新一だったのである。