本書を執筆した動機として、著者は「あとがき」でこんなふうに書いています。
<一〇〇一編を一作ずつたどりながら、物語が生み出された背景と理由を、そして作家の人生を書き留めたいと思った。子供のころにあれほど引き込まれた作家のことを自分は何も知らない。引き込まれたのに、物語の内容はまったく忘れている。それでも、心に落ちている小さなかけらがある。そのかけらの正体を見極めてみたかった。> 本文庫下巻 p.420〜421
私にとっても星新一のショートショートは、一時期夢中になって読んだ記憶があり、今はそのうちの幾つかを除いてその内容は忘れてしまっているけれど、確かに心の片隅にひっそりとしまわれているという思いがします。ふと振り返ってみればなつかしい気持ちに駆られるたくさんのショートショートを書いた“星新一”という人のことを知りたい、その人となりに触れてみたいと思って本書を手にした訳ですが、その期待に十分こたえてくれる、これは実に読みごたえのある評伝でした。
SF同人誌「宇宙塵(うちゅうじん)」の集まりの席で、レイ・ブラッドベリの短篇「万華鏡」(『
刺青の男 (ハヤカワ文庫 NV 111)』所収)のあらすじを、星新一が紹介するのを聞いたみんなが「すごいなあ。すごいなあ」としびれる件り。「宇宙塵」の創刊二十周年の一、二年前に、新一がひょっこり、「宇宙塵」編集長・柴野拓美の家を訪ね、少しだけ話をして、お茶飲んで帰っていく件り。星新一のファンクラブ「エヌ氏の会」で開かれたイベント「星コン」第一回目に参加した新一とファンの交流を記した件り。星新一の葬儀の席上、盟友・筒井康隆が語った追悼の言葉の一節を引いた件り。月のきれいな夜、タモリの別荘で、ドビュッシーの「月の光」をアレンジした冨田勲の音楽を聴きながら、新一が目に涙を浮かべる件り。
この下巻では、新一をめぐるそうした印象的な逸話があちこちにあり、目頭が熱くなりました。
<遺品を検証しつつ人の生涯をたどるのは初めての仕事である。ときに情念が乗り移り、作家の怒りや苦しみがまるで自分自身のもののように思え、腹の底からこみあげてきたこともあった。> p.422 「あとがき」にて
と語る著者の言葉にあるように、作家・星新一と人間・星親一の屈折した思い、ショートショートの第一人者たらんとする自負と人知れぬ寂しい気持ちまでもが伝わってくる文庫上下巻、評伝の労作に感謝! 星新一の初期の短篇集を、久しぶりに読み返してみたくなりました。