物語論に興味があって読んでみました。けれど特に何かを期待していた訳ではなく、ただ、こういう本も出ているんだなという感じです。
しかし、第1章を読み始めてしばらく、それまで自分なりに疑問に思っていたことについて、明確な答えが書かれていて、驚きました。
私が常々思っていたのは、日本の昔話を読む時に感じる、何だかはぐらかされたというか、曖昧でもやもやと中途半端に終わってしまうという変な感じは一体全体何なんだということでした。
ある意味、物語にさえなってないんじゃないというほどの、西洋のかっちりしたお話との違い、あるいは、差に、やっぱ日本人は昔から素朴だから西洋みたいな論理的でかつ面白い話は書けねえわと思っていた訳です。
河合先生は、比較のために西洋の物語構造も分析して、それを日本の昔話と対比させ、これでもかというくらいに、日本の昔話が何もないまま終わってしまうことを示します。
もし物差しが西洋由来のものだけならば、私の感覚はやっぱり、そのとおりだった訳です。しかし、河合先生は、違う物差しも持っていたのです。
つまり、それは、日本人は、昔話の中に『無』を描いたのだと。
正直、この部分を読んだ時には、鳥肌が立ったね。それまでの劣等意識というか何というか日本人は駄目だこりゃという感じが消えて、やっぱり、文化というものは、優劣で考えるのではなく、多様性という観点から見なくっちゃ駄目だよって感じですね。
そういう感じで、論はどんどん進んで行って、なるほどなるほど、河合先生は素晴らしいということで終わるのだろうと予想する訳です。
ところが、そうではなかったのです。それ以上なんです。そういう予想をはるかに上回る最後がやってくるのです。もう、これは、読み進んで読み進んで、その部分にぶち当たった時に訪れる至福の時ですので、最初から順番に読んでいった者にしか味わえないものです。