それでいて、われわれがドップリひたっている近代文化、生活様式、社会規範はほとんど明治にスタートしている。260年の幕藩体制からイキナリ開放世界へ。それもまた1945(昭和20)年を境に経済至上主義に転換し、バブル潰ついえて「グローバル」の呪文ですべてが沈む昨今と一脈通ずるのではあるまいか。
著者は交通事故に遭い九死に一生を得たが、長期の病床生活を余儀なくさせられる。幸い後遺症もなく意識はハッキリしているから、この時とばかり読書三昧ざんまいにふける。手が疲れるから文庫、新書が中心となるが幸いなことに文庫ブームのおかげでほとんどの本が文庫に入っている。読みも読んだり百数十冊。濫読らんどくではあるがおのずから著者の好きな近現代のノンフィクションが中心になる。
気づいたことはバルザックの人間喜劇のように人物がそれぞれ絡みあってドラマをつくっていることだ。明治の東京の人間サークルは想像以上に狭かったのである(これを利用したのが山田風太郎の「明治もの」)。本書は3話からなる。
第1話は「睦仁天皇の恋」である。明治7年、明治天皇が新しい侍女とラブロマンスをつくり重臣が解決に奔走する話でウィンザー公、フィリップ皇太子をホーフツさせるが天皇も人間なのだ。興味があるのは明治もヒトケタのころは現人神あらひとがみのタブーが完全ではなく、国民はゴシップを楽しんでいた。それをネジまげたのは、官僚である。
第2話は「学歴のない学歴」で、街の学芸史家、森銑三のプロフィル。私も好きな著作家であるが、独学者の癖で自己の学説について狷介けんかいにおちいりがちだ。西鶴偽作説をあげている。
第3話、「マリとあや」は白眉であろう。マリは森鴎外の娘茉莉であり、あやは幸田露伴の娘文である。明治を代表する文豪の2世でありそれぞれ明治36年、37年の生まれ、没した年も84歳、86歳である。
だが生きざまは全くちがう。それぞれ離婚歴があり、文名をあげたことは共通している。しかし、マリは鴎外にネコかわいがりにかわいがられ、あやは露伴から主婦業を徹底的にたたきこまれる。両者の作風が異なったように、それぞれの人生も両文豪の作品だった。
(東洋信託銀行顧問 神崎 倫一)
(日経ビジネス1999/1/11号 Copyright日経BP社.All rights reserved.)
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