誰だって自分の命は惜しい。もし誰かに罪をなすり付ける事で自分の命が助かるなら、悪魔に魂を売ってでも、自分だけは何とか生き延びようとするのが人の常。彼には、あわよくば助かろうなどという気は一切ない。責任はすべて自分にあるという立場を貫く。
岡田中将が捕虜の米兵を死刑執行をしたことが、はたして不当なのか否かが論争の焦点となっていくわけですが、岡田中将と弁護士は、論点を巧妙にずらしていき、無差別爆撃=不法行為をおこなっていた米軍機に搭乗していた乗組員は、犯罪者と同等であり、捕虜としては遇することをせず、あくまで大量殺戮の犯罪者として処罰したのであって、それは不当にはあたらない、という論理を展開していくわけです。
まあ、詭弁という感じもしないわけではありませんが、「あれ?ひょっとしたら、無罪になっちゃうかも?」なんて思わせる映画の撮り方がされていて、なかなか楽しめました。
3台のカメラのよるマルチカム撮影は、確かに黒澤映画を彷彿とさせます。でも、ギラついた全盛期の黒澤とは違い、緊張感みなぎるものではありますが、静かに落ち着いています。偉人を描いても、その超人性ではなく、気高い精神にこそにじり寄る感じですね。
そして、この映画には米国に対する恨みがましさも、規律正しい旧日本軍人への過剰な郷愁もありません。むしろ、裁判で公正な弁護をおこなった弁護士フェザーストンや、岡田中将の助命嘆願をしたとされる検察側、裁判官らの姿を人情味ある人物として描いています。つまり、古きよき日本人の姿とともに、アメリカの良い部分をも公正に描いています。そのあたりにも感動させられます。